夏目漱石の三四郎を読んで!!

 


東京大学構内の写真を見ると
吸魂鬼が現れそうです。ホグワーツ城に似てる。

 


ダイアゴン横丁は上野のアメ横
似てますね。

 

菊人形展

三四郎と美彌子が他の人たちと
迷子になって2人だけで菊人形を
見る場面があります。此処はまるでダイアゴン横丁のようでした。

 

 

 

 

ホグワーツ列車

 

東海道線

 

 

 

 

 

 


東京大学の学生集会に三四郎と与次郎が出席する場面!!ここで。小説は止まる。ここまでは。三四郎は慌ただしく動く。東京の忙しさや珍しいものやはじめて目にするものに驚いたり感動したりする。まるで世界的なベストセラーハリーポッターと同じように。出来ている。なんだろう?此処は?
このあとハリーポッターと同じように食事の場面に力を入れて書いてあり。此処はまるで魔法の国のホグワース( 学校 )での一場面に似ている。三四郎ハリーポッターだと思って読むこと。
また此処までの良い点は。ひとつは。作者の夏目漱石が思い出として書いているのではなく。当事者として三四郎の目線になっているところ。二つ目は特に重要です。普通の日本語で書いてあるところ。ここを見習う事だと思う。難しい漢字はないし。話し言葉でスラスラ書いている。これでいいんです。文学は普通の標準語で書くこと。それを夏目漱石先生は。自分が書いて見せて教えています。


東京大学の学生集会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


このあと。東京大学の学生集会では。ナイフとフォークの食事が出る。三四郎はあんまりうまくて大喜びした。今まで。牛肉だか馬肉の牛飯屋しか行ったことがなかったから。ビールも出た。熊本では。赤酒という地元の焼酎しか飲んだことがなかった。そしたら学生がひとり立ち上がり。演説を始めた。それはこういう瞬間にこそ!意義がある!!と言う。そこを。我々はいま。わずか40人あまりの学生だが。ここで社交のための懇親会を開いてもらったが。これは単なる社交だけではなく。我々は成長した!!我々は膨張した!!と言う。

何かと否定的な三四郎も。なんにも言わないで。同調した。

 

 

 

 

 

 

 

 


人物配置も同じ

三四郎ハリーポッター
カッコいい少年
与次郎がロン・ウイズリー
ちょっとだけ3枚目役
美彌子がハーマイオーニー
美人のヒロイン
広田先生がダンブルドア校長先生
独身貴族


広田先生とは?
東京大学で英語を教えていた。
独身者。
佐々木与次郎が大好きな先生です。広田先生はご飯の準備もひとりでは出来ない。佐々木与次郎が
烏賊の🦑固いものを食べさせたりした。硬くて噛めない。噛んでいれば時間が経つから良いアイデアが浮かぶからと変な事を話す。


美禰子はマドンナ。推定で23歳。三四郎と同じ年齢。
よくわからない女性。三四郎といっしょに下町の菊人形を見に行く。道路に水溜まりがあり三四郎が美禰子の手を引く場面があり。美禰子は三四郎が好きなのに三四郎は気がつかないところが良い。

佐々木与次郎は批評家です。「偉大なる闇夜」という評論を発表していた。三四郎はたいしたことがない!!と酷評した。東京大学の学生集会に三四郎を誘う。サンチョ・パンセだと思う。または焼津の半次。この人物こそ。三四郎を理解する鍵です。

 


   


佐々木与次郎が
三四郎という
小説を楽しくさせている。ここが

わかると。意外と難解な小説がわかるかと思った。

 

今。なにをしているのか?どんな本を読んでいるのか?教えます。夏目漱石三四郎を読む。もう1ヶ月も読んでいる。夏目漱石東京大学に入学してからの日々が書いてある。それも。過去を思い出して書くのではなく。その当時に戻って書いているところが良いと思った。僕もこのように書きたいと思った。この小説は主人公は三四郎こと夏目漱石ですが。だいたい人物的言うと。花山大吉という時代劇シリーズによく似ている。花山大吉には子分が居た。名前は焼津の半次。どちらかと言うと。主人公よりも焼津の半次が面白い。三四郎も同じように出来ている。この焼津の半次に似ている人物は。第一高等学校。英語の先生広田先生の家に居候している。佐々木与次郎です。三四郎にかならず。与次郎が付き纏う。この与次郎こそ。三四郎という小説の面白さなんです。三四郎と同じ年代なんのですが。早くに東京大学の学生さんをしてました。落第でもしたのか?そのことは書いてないけど。この与次郎こそ主人公なんです。ドンキホーテで言えばサンチョです。サンチョの言動がとっぴだから面白い。佐々木与次郎は批評家です。「偉大なる闇夜」という論文を書いて発表していた。三四郎こと夏目漱石も読むが。たいしたことない!と酷評するが。宝石は数百年経たないと宝石にはならない。優れたものは時間がかかる。という一節だけ目を向けた。

城西大学理学部数学科1年の思い出!!

その頃は大江健三郎ばかり読まれていて。厳粛な綱渡りというエッセイ全集が流行っていた。慶一は買ったけどわからなくて困った。厳粛な綱渡りとはバージニア・ウルフの言葉で人生は綱渡り。綱から落ちるとそこには地獄しか無い!だから人間は綱から落ちないようにトボトボと歩くしか無いという意味でした。


慶一は城西大学理学部数学科に入学しても推理小説ばかり読んでいた。森村誠一アガサ・クリスティ。そしていつもなにしにきたのだろう。微分積分を忘れてしまった。線型代数学の意味がわからなくなった。今考えると。2つの二次関数を解く方程式でした。線型代数学という学問が高校生で勉強して来なかった。それは中学生の数学でした。学校にいかないし。クラスには溶け込めない。勉強はもうついていけなくなった。どうしようか?これから先が心配していた。それは今思い出しても辛い記憶でした。数学科の友達から線型代数学がパソコンの基礎だよ。と言われて。一生懸命に勉強するように言われた。でももうやる気がなくなっていた。
アルバイトもやる。東松山の東洋製缶とか。コカコーラの缶を製造するライン作業。川角から電車に乗り坂戸市で乗り変えて。東松山の駅で降りた。もう真っ暗なのに。数人の労働者がバス停で待っていた。そこから東洋製缶のバスで工場まで乗せて行ってくれた。話しを聞くと。池袋駅から来ているそうだ。背広姿で革靴を履いているが。工場に着くと作業着に着替えた。でも革靴は履き替えがないのでそのまま。革靴で働いている仲間が居た。そうしたら。サラリーマン風の人達は。一晩中働いて9000円なのに。手配師に1000円もピンハネされていた。慶一は18歳で社会の実体を見た。そして若い男性から驚く話しをした。数人の池袋駅から来ていた若者達は週末になると池袋のディスコに行くらしい。そこで女の子をナンパするためにお金を稼いでいると言っていた。ラブホテルの話しやセックスの話しを永遠と話していた。女の子とあれをやるのは最高だねー!とかそんな話しをしてました。慶一は別の世界を覗いた気がした。
たまには坂戸市の学生ローンでお金を借りたりした。また坂戸市の南口のピンクサロンに行ったりした。また。そのうちにストリップ劇場に出入りするようになる。だからテニス部でしたがたまには文学好きな部室にも出入りした。その中に文章を書いている仲間達がいた。その時。季節も忘れた。その友人の顔は髪の毛を長くして。ちょっとだけ。俺は文学通だよ!!と。言わんばかり。
そんな時。その文芸部の友人がいた。正直言って。あんまり期待してなかった。そして今思うと驚くことを話していた。


「 今の文学部の学生は大江健三郎ばかり読んでいるが。僕はそれよりも古井由吉の方が優れているし、ずっと上だよ!」と自慢げに話した。


誰だろう!古井由吉って!!慶一は、群像の月刊誌買って。いつかは芥川賞とるぞ!!と思っていただけに。そんな知らない作家の名前の名前が出たので。へえーと思った。確か数年前に芥川賞受賞した人だなぁ!!ぐらいしか知りません。だからショックだったなぁ。今でもその友人の顔を覚えている。大江健三郎は僕も知っていた。だからそれは驚かない。でも古井由吉の名前には驚いた。誰だろう!マイナーの作家だろう。それが天下一品の大江健三郎よりも上だ!!という言葉には衝撃的でした。しかしながら。古井由吉を僕が理解してのは。大学を卒業して。20年余り経ってから。確か40歳余り。県立前橋図書館で見つけた。古井由吉が金澤大学の助教授として赴任した時の思い出話しを読んで。良い作家だなぁと思った。確か冬の季節に下宿先の民間に大雪が降り。学生たちと雪降ろしをする話でした。この作家は事実をそのまま書いている。と思った。
また慶一の18歳の頃に戻ります。
その頃は。慶一は今でも孤独ですがこの頃も孤独でした。ホカホカ弁当が誕生した年で。たまに坂戸市南口に行くと。のり弁当を食べたりした。お腹空いてばかりなので。ほんとうにおいしかった。サカナのフライは熱くて。のりが乗っかっていて。めくると昆布の佃煮とカツオ節がありました。実家に帰ったかのようにおいしかった。数回は食べに行く。たぶん学生ローンを借りたりしたからその合間に行ったのだろう。


武州長瀬駅近くのアパートに帰っても友達がいない。学校から遠くて。歩いて行くと30分はかかりました。その時が一番寂しかった。夏目漱石三四郎森鴎外の青年を読むと。東京大学は楽しくて羨ましい。また女性にもモテる。城西大学に入学しても。何にもなくてつまらなかった。あの頃も珈琲が好きで。アパートの前に長瀬霊園があり。その坂道を登ると。もう名前を忘れてしまったが。城西大学薬学部で硬式テニス部でいっしょだった友達のアパートがありました。夕方から夜にかけて慶一は坂道を登って。そのアパートに行った。距離は1キロぐらいか?通ったのは確か1ヶ月ぐらいかなぁ!20回は通った。なんの話しをしてのか忘れてしまったが。珈琲を入れてくれた。それは感謝しかない。大学に入って一番嬉しかった。なんとその友達は珈琲豆からガラガラと砕いて。一杯ずつ入れてくれた。音楽が好きらしく。ムード音楽をかけてくれた。家はお金持ちだと言っていた。その当時。城西大学薬学部は授業料が高く。みんなお金持ちばかりでした。その友達は。行くと何にも言わずに。部屋に入れてくれた。2人でタバコを吸った。彼は友達が多くて。羨ましく感じた。なんの話しをしたのか忘れた。内藤さんの話しだろう。慶一は内藤さんが好きだったから。でももうその友達の名前もどこからきたのか?それも忘れた。確か。栃木県だと思った。親が製薬問屋の会社を経営しているとかその取締役だから。とか。そんな話しをした。別に嘘ではないだろう。家賃は毎月5万円ぐらいするだろう。その頃はだいたい一万円のアパートが普通だから。間取りが広くて高そうだし。ベットやステレオが置いてありました。その友達には何人も薬学部の友達がいて。またその友達はおしゃべりで。コミニュケーションがうまくて。慶一が部屋に入っていると。薬学部の人たちが数人きたりした。部屋が広くて。快適なところだから。溜まり場になっていた。慶一は薬学部だとかそんなの関係なく。いっしょにいたが。もともと話し下手なので。長い時間。いつも黙っていた。その友達は慶一が薬学部の友達と話しをしないし。いつも黙っていた。そしたら。新井!!俺の友達が来たのに挨拶もしないのか?と問い詰められた。それはショックでした。あ!そうか!そういう常識なルールさえわからなかった。それきりそのアパートには行かなくなった。ある日学食でその友達に会ったら。新井!!俺がちょっとだけ大きな声で詰問しただけで。もう一緒に珈琲を飲みに来ないのか?と言われた。慶一はその当時。おとなしかったので。当然。挨拶がどうのこうの言われたから。と言った。そしたら。あーそうかい!と言って別れた。あの友達も良いひとだったなぁ!なにをしているのか?たまに思い出す。


 もうひとりテニス部に広瀬という友達が居た。広瀬は都会好きので。アパートは川越市の駅前。数回行った。散らかし放題なので。ほんとうにゴミ屋敷でした。部屋に入らないぐらい物が置いてありました。靴を置く場所がなくて困った。教科書が無くなるだろうと思った。カップラーメンが好きらしく。でも広瀬はカップラーメンを食べながらカップラーメンをあんまり食べないようにしているとか言った。あんまり食べると病気になるから。カップラーメンは毒だから。そして僕はラーメンのお汁は残さずに飲む!!と言った。なんか。広瀬はアトピー性の皮膚炎らしく。俺はあんまり刺激がある食べ物は受け付けないとか言った。だからキムチとかそういったものは駄目だ!!と言った。広瀬は岐阜県から来て居た。家は呉服屋問屋をしているとか。実のお姉さんも城西大学薬学部で広瀬も城西大学薬学部だから。そうとう親はお金持ちなのだろう!と思った。だって兄弟で城西大学薬学部ならば。年間400万円も払うわけだから。

 

 

新井慶一の平井小学校時代

慶一は家ではテレビばかり見て.夜遅くまで起きていた。教科書は開いたことがなかった。明日学校にもっていく教科書を忘れないでカバンに入れること。それしか頭にありませんでした。どうしてかというとかならず間違えたり忘れたりした。そのたびに担任の先生に怒られた!!その記憶は今でも夢に見る。また間違えたとかまた教科書を忘れた!!その時の担任の先生の怒り方はすごかった。「 新井けいいちさん!! 何回言っても忘れるのならば。家に取りに行かせるからね!」慶一は「 そうか?今日は火曜日か?」また間違えた。それに鉛筆入りも忘れたりした。毎日が面倒だ!!と思った。また1週間の予定表を無くしたりした。入れ間違えたことがしばしばあった。だって教科書を忘れて隣りの女の子といっしょに勉強することが耐えられない苦痛でしたから。先生の話しは聞いてない。眠く眠くて。頭の中にはジュリアーノ・ジェンマがいた。学校でもうわの空。家に帰ると。5時間ぐらいテレビを見ていた。夜の9時から淀川長治さんのロードショーを見て。夜中の12時過ぎにはまた映画を見た。ベンハーとか。古代ギリシャのスペクタル映画を夢中になる。西部劇は絶対に全部見た。ジョン・ウェインの映画からジュリアーノ・ジェンマまで。その他は焼津の半次だとか。だから高校2年生の時に高崎のオリオン座でクリントンイーストウッド主演のダーティ・ハリー2は退屈した。西部劇の荒野の用心棒のクリントンイーストウッドが見たくなった。

 

だからアメリカ映画からなんでも手当たり次第見た。だから慶一の小学校時代はテレビ映画が全てでした。そのテレビは廃品回収で拾ってきたもの。だからそんなだから通知表はひどかった。2と3しか無い。父親は。怒っていた。母親は気にしてなかった。我が家は頭が良いと言われる家系でした。クラスで一番は当たり前でした。それが真ん中よりも下だから。父親は慶一に勉強をするように毎日言った。漢字の書き取りのノートを買ってきた。それでも慶一はやる気がなくて。なんだかまったく関係ないことを考えていた。それは。生きているのは。シンドイだけだ!それを繰り返し。頭の中で思っていた。幼馴染は。久米とか八木とか齋藤とか。全員頭が良かった。久米は慶応義塾大学。八木は上智大学。齋藤は東北大学に入学してました。みんな小学生の時も彼らは頭脳明晰。そんな中でも母親は何にも言わなかった。健康でさえいれば良い!!それが母親の考えでした。しかしながら父親は黙っていなかった。慶一の通知表さえも屈辱感でいっぱいにした。ことある事に!!どうしてこんなバカな子どもが生まれたのか?と言った。年に一回。授業参観日がありました。何故か?頭の良い。久米や八木や齋藤の家の両親は来なかった。だって頭が良くてクラスでオール5だから。わざわざ学校に来る必要がなかった。それに対して慶一の父親は頭が悪いし。どうしても息子を頭を良くしたいからかならず授業参観日には来てました。その中でスーパースターの同級生は久米でした。運動能力はクラスで一番。勉強も1番。久米は服装もなんとなく綺麗でした。久米は代々。東平井の秋葉神社の神主の子どもでした。久米の父親はお祭りの日には。上下の紋付袴を着て。お寺の境内奥深いところに座った。いかにもインテリア風な威厳な雰囲気を醸し出していた。

 


八木は勉強はよく出来たけれども。スポーツは苦手だから。八木は引っ込みじあんで教室でもいるのか?いないのか?わからなかった。八木の家は農家でした。八木の父親は村の代表を勤めていた。農地の基盤整備事業の委員長を務めたりして名門でした。齋藤も農家でした。勉強は出来たがスポーツはまったくのゼロだから。それに劣等生の鮎川の長谷川とかおとなしい野口とか劣等生の西平井の平野と話してばかりで同じ村よりも隣り村の幼馴染ばかりと話していたから。なんで齋藤はあんな付き合い方をするのか?そのせいかそんなには齋藤には嫉妬はしなかった。しかしながら久米には嫉妬した。どうして頭が良くてスポーツ万能なのだろうか?それに担任の先生からも良く思われるし。みんなからも好かれていた。また。勉強家とは思えない雰囲気でした。いつ勉強しているのだろう?とクラスメイトは不思議に思っていた。久米くんは頭が良いねぇ!!それに放課後もスポーツしているし。夜遅くまで勉強しているような話しは聞こえてこなかった。まわりは不思議だねと話していた。

 


そこにいくと慶一は頭は悪いし。スポーツも出来ない。頭の中は空っぽ。考えていたことは。生きているのが嫌で嫌で仕方がなかった。慶一は小児喘息でした。だから母親は心配していただろう。母親は慶一の病気のことしか頭の中になかった。家は農家。貧乏でした。母親はパートに出た。家の裏にはTOYOTA自動車工場が出来た。今のように。世界のTOYOTAではなく。外から見ると刑務所のような雰囲気でした。あんな恐ろしいとこは無い!だいいち。地元の人よりも。万場町とか山の方の人が働きにきていた。またそんな山の方の人しか勤まらないと思えた。でも母親は嬉しそうに働きに行ってましたね。毎日毎日。うどんを食べていたらしい。うどんが70円だよ!食券を見せてくれました。後年。母親が糖尿病になったのは。TOYOTA自動車工場が原因か思えて仕方がない。うどん一杯だけで一日中働いていたから。日銭が入ってくると家の中が明るくなった。慶一の父親は他人飯が食べられなかったら。「他人と話をするのが怖かった!!」と言ってました。「.俺は!他人が嫌いなんだ!!だから俺は60歳になるまで誰とも話をしてこなかった!」と言ってました。たぶん父親は対人恐怖症だったのだろう?

 

 

慶一は久米に嫉妬した。久米は勉強が出来て。スポーツ万能。先生からも褒められた。クラスメイトからも信頼されていた。慶一も久米のようになりたいと思った。だから慶一は毎日が惨めでした。生まれながら負犬!!そんな子どもでした。

テニスクラブの忘年会!!

 

 

 

 

テニスクラブの忘年会を付け足しします。

 

エピソードとして

 

暮れの忙しい時期にテニスクラブの忘年会がありました。外は寒いから店内は熱気で。お店の中はまるで。どんちゃん騒ぎ。狭いのに大勢集まった。お酒の匂いと料理の匂いと。立川さんのタバコの匂いが充満していた。立川さんはヘビースモーカーだから。でも立川さんはHONDAの高価ワゴン車。中村くんはセドリックに乗っていた。お店は藤岡市の旧牛角。でもまだ。その前のビリヤードとお酒のお店でした。店主が好みで作ったお店で。すぐに潰れた。たぶん開店まもなくの頃だった。慶一はカラオケも大好き。お酒も大好きだけど。普段は家では飲んでませんでした。外でもほとんど飲まない。でも仕事とは関係がないから。何を話しても次の日に会社で出会わないから好き勝手に飲んでいた。そこでテニスクラブの忘年会がありました。たぶん最初で最後。そのあとは参加してもつまらなかった。その暮れの忘年会は。集まりも良くて。先生と奥さんと立川さんと中村くんと。それに中里もいたと思う。たぶん幹事の小暮さんだと思う。小暮さんの行きつけの店でした。僕は仕事が終わるとここで飲んでから家に帰っているから!僕の行きつけだよ!!とクラブハウスで話していた。そのお店は店内は洋風で広々とした四角い店。料理は覚えていない。ビールの中ジョッキを

2杯から3杯は飲んだ。カラオケも歌った。立川さんが。大事MANブラザーズバンドのそれが大事を歌っていた。当時大ヒットしてました。中村くんはいつもの曲を歌っていた。大きな玉ねぎの下で 爆風スランプの歌を歌っていた。中村くんはいつも同じ曲を歌っていた。「 あれしか知らないのかなぁ!!」と思った。歌詞に意味があるのかなぁと思って。歌っていた中村くんの歌詞を聴いていた覚えがある。その日は慶一は調子が良くて。カラオケを歌いましたね!!題名は秘密だけど。二曲歌いました。だからそうとう楽しかったかもしれない。先生が新井さんは!誰か好きな人がいるのかね?と聞いてきたから。いやいや。いません!と答えた。女の子もなんにんもいました。どの女の子も美人。でもその頃は先生の娘さんが好きだってので。あんまり他の女性に興味が湧かなかった。それは。よく考えてみると損した気持ちもします。まだ従兄弟の中野がテニスクラブに入る前だと思う。吉野工業製作所が一番多くて。慶一はカラオケで。渥美二郎の夢追い酒。松山千春 恋を歌いました。そしたら。誰かに新井さんは誰かに恋をしているのですか?聞かれた。困ったことを思い出す。また先生の奥さんが若い女性たちに。泥棒猫!!と言っていたのが強く思い出される。若い女性が半分くらい居たから。嫌な言葉だと思った。

 


慶一は28歳まで暗い生活をしていた。趣味は読書と音楽鑑賞。仕事で得たお金は本やCDで終わった。ときどき。仕事仲間に誘われてパチンコ屋に行くことだけ。そのパチンコ屋さんで中里に会う。その頃読んでいたのは。釣りバカ日誌とまんだら屋の良太。全巻揃えて読んでいた。音楽はモダンジャスのセロニアス・モンク。中里とはその後10年間も高崎市までハンバーグを食べに行くようになった。それはうまかった。ご飯をかならず2杯食べた。食後の珈琲もうまかった。中里の友達が一緒にきていた。楽しく楽しくてその時間が終わらなければ良いと思った。毎週の恒例行事になっていた。場所はステーキのドン問屋町店。その仲間のひとりは数十年後には高崎市の高松中学校の校長先生になったと話しが伝わってきた。新井さん!!僕は離婚したばかりなんだ!!と哀しげに話していた。髙橋先生は同僚の学校の先生と結婚した。でもすぐに別れたと話していた。詳細まで教えてくれませんでした。そしたらあっと言う間に数年後にはまた結婚していた。慶一は目まぐるしい人生だなぁ!!と思った。慶一は女性と話しもしたことがないし。当たり前だけど女性とデートもしたことがなかった。それなのに結婚したり離婚したりまた結婚したり。その話しをしたら中里は。良い男性はモテる。新井!!新井!駄目だ!だいいちに農協職員ならば誰も女性が相手もしない。農協は市役所の下請け会社だからだよ!!と僕に話した。女は男性の顔を比べたりしないよ!学歴と職業。また年収!!だからこそ髙橋先生は高崎高校卒業して早稲田大学教育学部卒業のインテリだから女性がチヤホヤするのだよ!!と説明してくれた。そうか!それが原因か?と思った。でも。もう慶一は30歳近くになっていたから。手の内ようが無かった。やっぱり早稲田大学卒業して学校の先生には敵わないものだ!!と痛感した。慶一は髙橋先生は気が弱くて映画好きなので話しが合う。いっしょにアメリカ映画のアダムスファミリーを観に行った。だから会えばまた仲良くなるかもしれませんが。その後。お付き合いはまったくしてない。
その頃。社会はバブル景気で浮ついていた。藤岡市にテニスクラブが出来た。硬式テニス界では超有名な中村博敏が農協のガソリンスタンドで。慶ちゃん。藤岡市にテニスクラブが出来るよ!!行ってみたら!藤岡高等学校の体育の先生をしていた山口先生が始めるからと言った。慶一はそれは面白いから行ってみるか?とこころの中で思った。そして軽トラックで近くに行って見た。何にもない。畑が拡がっていた。フェンスも無く。クラブハウスもなかった。そこにいた叔母さんと話しをした。そしたら。会員になったらまたきてね!と言われた。たぶんですがその叔母さんは50代だったと思う。その叔母さんには2人の娘がいた。上の娘は背が高くて痩せていて。ハキハキしていた。名前はA子と言った。下の娘はB子と言った。おとなしい感じでした。慶一は楽しみが出来た。JAの仕事はつまらなくて。嫌で嫌で仕方がなかった。だからなおさらテニスクラブに行くようになった。性格が明るくなった。ナイターテニスで走り回っていると仕事の悩みが消えた。またテニスが楽しくて。女性も忘れた。慶一は風俗通いをしていた。それも毎月20回ぐらい高崎市柳川町のピンクサロンに通っていた。給与をぜんぶ使っていた。女性が好きというよりも。ピンクサロンに行くとホットした。結婚したかのような錯覚が起きた。それがテニスクラブ入ったら。女性に興味が無くなって行った。叔母さんは慶一に女はもっと積極的で無ければ駄目だよ!!新井慶一さんは男性らしさがないから。女を奪い合いようなところも必要だよ!と話してくれた。テニスは安上がりでした。会員制ですが月々4000円。それで1ヶ月遊べました。だから楽しんで、貯金も出来た。
それが失敗だったと思う。スポーツというのは一生懸命にやると社会からずれてしまう。テニスクラブは少しずつ会員が増えていました。慶一は叔母さんの娘が好きだった。お付き合いはしてない。また。叔母さんの娘のA子に立川さんが惚れていた。叔母さんも立川さんと仲が良さそうでした。立川さんはHONDAの高級車に乗ってきた。オフコース小田和正さんの大ファンで。「言葉に出来ない。」をカセットテープに録音しては叔母さんに聴かせていた。ある日。テニスクラブのレッスンの帰りに。叔母さんと先生と立川さんがクラブハウスのテーブルでお寿司を食べていた。これはてっきり立川さんとA子さんが結婚するものと思った。立川さんならばしょうがないなぁと思った記憶がある。だって初期のテニスクラブの中心人物だったから。立川さんは吉野工業で働いていた。でも高校卒だから。叔母さんは返事をしてくれなかったのかもしれない。その頃は吉野工業の社員が大勢。テニスクラブの会員になっていた。中村くん!齋藤さん!大久保さん!土曜日や日曜日になると大勢集まった。叔母さんの娘のB子は中村くんがそうとうに好きだった。と思う。B子は頭が良くて芝浦工業大学の学生さんでした。でも叔母さんは一流の大学を卒業している男性が目当てなので。中村くんは叔母さんには眼中になげなのがわかった。慶一は中村くんが気の毒に思った。中村くんはセドリックに乗って。ほとんど毎日毎日テニスクラブに通っていた。一本気な性格で曲がったことが出来ないようでした。確か中村くんは高崎工業高校の機械科出身だと思う。それで吉野工業製作所に入ったらしい。
その後。一年後か二年後に藤岡市神田の小暮さんがテニスクラブに入ってきた。仕事は測量士。小暮さんは白いTOYOTAマークⅡに乗っていた。その当時。一番人気のクルマでした。また小暮さんはお金がいっぱいあるような話しでした。小暮さんは叔母さんのお気に入りになった。小暮さんがうちの娘と結婚してくれたら良いのだけれどと言った。でも小暮さんは。俺は駄目なんだ!!ああいうハキハキした女性が一番苦手なんだよ!と話していた。だからその頃はまだA子さんの結婚は決まって無かったと思う。また小暮さんの友達が来た。藤の丘美夜之窯の陶芸家でした。名前は本多くんと言った。またA子さんの女友達もきた。名前は忘れました。群馬銀行安中支店で働いていた。おとなしい感じの子でした。でもテニスプレイは上手くてファハンドはしっかりとした強いボールを打っていた。

 


父親も母親も慶一の結婚には悩んでいた。母親はそのことで頭がいっぱいだった。ある日突然だけど。母親はバイクに乗って神流の中山さんの家まで行ったりした。蘭のハウス栽培農家でした。だって片道10キロもあるのに。母親は元気だったなぁ!!それは農機センターの桜井さんから神流支所に良い娘がいるよ!と言われたらしい。また。母親は蘭の花が好きで家の周りに蘭の花を集めた。蘭の花があるとどこでも出かけた。たとえば。イトーヨーカ堂の花屋さんとか。見るだけで楽しそうでした。そしたら。あの家の子どもは農協に勤めているそうだ!!なんでその子にしないの!!と慶一を問い詰めた。慶一はそんなにうまくいかないものだよ!!と答えた。たぶん。会話の中で。子どもの結婚の話しでも出たのだろう。恋愛はそんな簡単にいかないもの。話しもしたことないし。それはいつの頃だったのだろう。たぶんまだテニスクラブに行く前だったのか?行き始めた頃か?そんな時期だった。慶一が30歳になったばかりの頃だと思う。

 

 


1990年代はスキーブームでした。慶一の仲の良い中里とテニスクラブの小暮さんがいっしょにスキーに行ったらしい。どこで知り合ったのか?それは。意外な組み合わせだと思った。あとで中里に聞いたら。青少年センターの料理教室。中里は男性なのに女性がいっぱいいて花嫁修行の女性に混じってクリスマスケーキ作りに参加していた。そこで神流支店金融係で下戸塚の中山さんと知り合いになったらしい。小暮さんのTOYOTAマークⅡにはJA神流支所の中山さんがいた。もうひとりの女性がいたらしいがその女性は知らない。女性2人と男性2人。たぶん苗場スキー場だと思う。中里が派手好きだから。ユーミンの「スキー天国サーファー天国」をよく聴いていたし。慶一はスキーが苦手。どうも楽しくない。それなのでスキー道具を持ってはいたが。中里に誘われても拒否していた。職場では。スキー大好きの中山さんはスキーをしない男性は嫌いだ!!と遠回しに慶一を非難していた。口うるさい女性だった。それに慶一のJA生命保険の勧誘成績が悪いことも職場で話していたらしい。それなのに慶一が農協の仕事をサボってテニスクラブに通っていることも何故か?気にしていた。たぶんテニスクラブに好きな女性がいるのだろう!とだからあんなに毎晩とテニスばかりしているのだろう!と職場で言われた。慶一は中山さんを気が強くて口うるさいと思っていた。でも。慶一は中山さんと同じ神流支所で働いていたら。どうなったかわからない。慶一はおとなしくてM系の男子なので。慶一は気が強い女性が大好きでした。慶一はおとなしい女性は一番嫌いなタイプでしたから。また中山さんは芸能人の中山ビデちゃんの身内でした。だから藤岡市では中山一族を知らない人がいなかった。でも慶一は平井支所だから。まず会うことも無かった。それに慶一はスキーがいくらやっても好きにならないのだから仕方がない。それは農協の橋本くんからも言われていた。また中里からはスキーをしないと結婚できない!!と言われた。

冬場だった。寒い日でも。白い上下ヨネックスのウェアーを着てテニスクラブに毎晩通った。ある日。テニスクラブの叔母さんに言われた。新井さんは二股かけているの?と。まさかウチの娘と中山さんの天秤かけているのだろう!と言われた。山口先生からは。新井慶一はだらしのない人間だ!!と言われた。あっちこっちに女性にちょっかい出しているふざけた男性である。と言われた。でも慶一は何にもしてないし。二股かけているなんて!僕がそんなにプレイボーイではないよ!と思った。その頃から徐々にテニスクラブでの立ち位置が悪くなった。どうしてこういうふうに慶一を悪い方に悪い方に向かわせるのか?誰か。山口先生の奥さんに新井さんが二股かけているよ!と告げ口でもしたらしい。それはまいった。してないのにしていると言われるくらい辛いものは無かった。だって慶一は繰り返し言うけど。女性とデートもしたことが無かった。

その頃だと思う。陶芸家の本多君が。山口先生の娘さんのA子さんが婚約者らしき男性とテニスクラブで叔母さんと話していたよ!と言った。その男性は礼儀正しく背が高くて色白で営業マン風と言っていた。陶芸家の本多君も密かにA子さんが好きだったらしいから。ちょとだけ。ガッカリしていた。慶一は目の前真っ暗になった。恥ずかしさで穴があったら入りたくなった。声が出ないくらい。絶望感と失望感と徒労感でいっぱいでした。やっとのこと。そのまますぐに家に帰った。父親は何かあったのか?と聞かれた。でも何にも言わなかった。父親は慶一の様子をすぐに察知した。慶一がテニスの基本という本をテレビの前で読んでいたら。父親がテニスのレッスンに行っているのだからテニスの基本という本を読まなくても良いだろう!!と言った。慶一は!!なんにも言わなかった。

そして考えた。確か。テニスクラブの叔母さんのお気に入りは藤岡市神田の小暮さんでした。その小暮さんは叔母さんの娘さんのA子さんが一番苦手だと言っていたし。叔母さんから慶一は二股かけていると言われるし。藤岡市小野の縫島さんからは先生の娘を好きになるのは。「 新井さん!おこがましいよ!!」と忠告されたし。やめなさい!!と暗に言われた。ここではっきりと言います。中山さんとは。デートもしてないし。話しもしてないし。何にもない。確か農協のスキー同好会でみつまた・かぐらスキー場でいっしょになったことがあるぐらい。中山さんはその年に結婚した。そしてそのあと少し経ってからテニスクラブの娘のA子さんが結婚した。その時。やっぱりテニスクラブの叔母さんの娘のA子さんが一番好きだったことがその時わかった。だいいち神流支所の中山さんが結婚した話しを聞いても。そんなに動揺もしなかったから。

 

僕は先生に告げ口をしたのは小暮さんだと思う。小暮さんは叔母さんと仲が良くて。テニスクラブのクラブハウスでコッソリと話していたのを見ていたから。その時意味深な目つきをテニスクラブに来たばかりの僕に注いでいたから。また嫌な話しをしているなぁ!と思ったが。まさか僕の働いていた藤岡農協の職場内の話しだと思っても見ませんでした。また。農協職員は軽く扱われると思った。中里は藤岡市役所の建設課で。小暮さんは建築会社の測量士でした。どちらも公共事業関係だから。給与も良くて。安定していた。それを農協職員の独身女性をスキーに連れ回して。結婚するわけでもないのに。スキーの帰りにカラオケや居酒屋を感じたから。中里だけならば安心だけど。小暮さんがひとりだとちょっとだけ危ない感じでした。なおさら可哀想なものだ!!と感じ、また。数日前のスキーの雑談で盛り上がっていたらしい。それは想像ですが。たぶん。テニスハウスで叔母さんと小暮さんはそんな話しをしているのだろう?と慶一は思った。その時偶然にも。僕がテニスクラブのドアを開けた時に嬉しげに話していたから。

神田の小暮さんは。僕と逆でスキーが大好きでテニスが嫌いでした。僕はテニス大好きでスキーは大嫌いでしたから。また新井慶一はM系男子。小暮さんはS系男子でした。だからその日も小暮さんはテニスをしないで帰っていた。「.こんなところでテニスなんかしても面白くもなんともない!!」と平気で喋っていた。そのおおらかな話しぶりに叔母さんは。小暮さんは。歯に布を着せない喋り方に笑っていた。どうしてかと言うと。テニスクラブの叔母さんもスキーが大好きでしたから。まさかその時。僕の話しをしていたらしい。その時期がスキーシーズンと重なっていたから。やっぱりテニスクラブで大勢が集まると。話しが合う仲間同士で。仲のあんまりよくないひとたちの悪口を言うようになるものなのだろう。その頃。僕は話し相手が少なくなってきたから従兄弟の中野をテニスクラブに入会するように勧めた。中野はまだ独身でした。茨城大学農学部を卒業して群馬県庁に入っていたから。僕は叔母さんの娘とは結婚出来ないと思ってきたから。出来たら従兄弟の中野ならば。叔母さんの娘とちょうど良いかもしれないと思った。だいいち叔母さんは新井さんは大学を卒業しているの?4年生の大学を卒業しているように見えない。そんなことを話していた。中野がテニスクラブに入ったら。急にテニスクラブの経営が傾き始めた。中野は群馬県の県庁職員。他のテニスクラブのメンバーは。街の中小企業の労働者ばかり。話しが合わない。ナイターテニスは労働者の息抜きだったのが。中野がテニスクラブに入ったら。格差が出てきてしまった。吉野工業製作所やその他。街の中小企業の労働者は。急にテニスクラブを辞めて行った。たとえば。吉野工業製作所の齋藤さん。大久保さん。来なくなった。立川さんも休みがち。何故か?中村君は頑張ってましたね!!でもその代わりに群馬銀行の宮下さんと群馬県庁の中野がテニスクラブの中心になってしまった。宮下さんは良い人だし。中野も良い人なのに。中野はTOYOTAランドクルーザー4WDだし。他のテニスメンバーは一般の大衆車。これならばみんな辞めちゃうのは当然だけど。まさかこんなことが起きるとは思っても見なかった。そしたら。叔母さんは県庁の中野さんをテニスクラブに入れたのは。新井さんだから。新井さんがテニスクラブを悪くしたと言い始めた。僕はそんなつもりではなかったのに。そうなってしまったとしか言えない。だって。テニスクラブのオーナーの叔母さんの娘さんには。群馬県庁の従兄弟ならば。お似合いだと思っただけだから。またその後。僕はテニスクラブを辞めた。小暮さんとはそんなに友達でもなかったし。陶芸家の本多さんも良い人だったし。また縫島さんはとっくに辞めていたし。中里は最後までテニスクラブに入らなかった。またみんな辞めたから。僕は急に居場所がなくなったと感じてきたし。それまでは土曜日も日曜日も朝9時から夕方までテニスをしていた。そして辞めたら。僕自身が目の前が真っ暗になった。だいいちその時はもう34歳になっていた。何にもなかった。中里の言ったことが事実になった。テニスクラブには行かない方がいい!!すぐに辞めないと人生を失うぞ!と僕に警告していたから。そしたら農協では。新井さんがテニスクラブを悪くしたらしいと言われた。そんな悪いことはしてないから。ここではっきり言っておきます。そうなるようになったとしか言えない。

その後。従兄弟の中野は群馬県テニス協会の役員や藤岡市テニス協会の役員のトップまで行くほどテニス好きだから。僕はテニスクラブの叔母さんの娘さんには。やっぱり中野がピッタリだと今でも思っています。

 

テニスの思い出!!総集編!!


慶一は28歳まで暗い生活をしていた。趣味は読書と音楽鑑賞。仕事で得たお金は本やCDで終わった。ときどき。仕事仲間に誘われてパチンコ屋に行くことだけ。そのパチンコ屋さんで中里に会う。その頃読んでいたのは。釣りバカ日誌とまんだら屋の良太。全巻揃えて読んでいた。音楽はモダンジャスのセロニアス・モンク。中里とはその後10年間も高崎市までハンバーグを食べに行くようになった。それはうまかった。ご飯をかならず2杯食べた。食後の珈琲もうまかった。中里の友達が一緒にきていた。楽しく楽しくてその時間が終わらなければ良いと思った。毎週の恒例行事になっていた。場所はステーキのドン問屋町店。その仲間のひとりは数十年後には高崎市の高松中学校の校長先生になったと話しが伝わってきた。新井さん!!僕は離婚したばかりなんだ!!学校の先生と結婚した。でもすぐに別れたと話していた。そしたら数年後にはまた結婚していた。慶一は目まぐるしい人生だなぁ!!と思った。慶一は女性と話しもしたことがないし。当たり前だけど女性とデートもしたことがなかった。それなのに結婚したり離婚したりまた結婚したり。その話しをしたら中里は。良い男性はモテる。新井!!新井!駄目だ!だいいちに農協職員ならば誰も女性が相手もしない。農協は市役所の下請け会社だからだよ!!と僕に話した。女は男性の顔を比べたりしないよ!学歴と職業。また年収!!だからこそ髙橋先生は高崎高校卒業して早稲田大学教育学部卒業のインテリだから女性がチヤホヤするのだよ!!と説明してくれた。そうか!それが原因か?と思った。でも。もう慶一は30歳近くになっていたから。手の内ようが無かった。やっぱり早稲田大学卒業して学校の先生には敵わないものだ!!と痛感した。慶一は髙橋先生は気が弱くて映画好きなので話しが合う。いっしょにアメリカ映画のアダムスファミリーを観に行った。だから会えばまた仲良くなるかもしれませんが。その後。お付き合いはまったくしてない。
その頃。社会はバブル景気で浮ついていた。藤岡市にテニスクラブが出来た。硬式テニス界では超有名な中村博敏が農協のガソリンスタンドで。慶ちゃん。藤岡市にテニスクラブが出来るよ!!行ってみたら!藤岡高等学校の体育の先生をしていた山口先生が始めるからと言った。慶一はそれは面白いから行ってみるか?とこころの中で思った。そして軽トラックで近くに行って見た。何にもない。そこにいた叔母さんと話しをした。そしたら。会員になったらまたきてね!と言われた。たぶんですがその叔母さんは50代だったと思う。その叔母さんには2人の娘がいた。上の娘は背が高くて痩せていて。ハキハキしていた。名前はA子と言った。慶一は楽しみが出来た。JAの仕事はつまらなくて。嫌で嫌で仕方がなかった。だからなおさらテニスクラブに行くようになった。性格が明るくなった。ナイターテニスで走り回っていると仕事の悩みが消えた。またテニスが楽しくて。女性も忘れた。慶一は風俗通いをしていた。それがテニスクラブ入ったら。女性に興味が無くなって行った。叔母さんは慶一に女はもっと積極的で無ければ駄目だよ!!新井慶一さんは男性らしさがないから。女を奪い合いようなところも必要だよ!と話してくれた。
それが失敗だったと思う。スポーツというのは一生懸命にやると社会からずれてしまう。テニスクラブは少しずつ会員が増えていました。慶一は叔母さんの娘が好きだった。お付き合いはしてない。また。叔母さんの娘に立川さんが惚れていた。立川さんは吉野工業で働いていた。その頃は吉野工業の社員が大勢。テニスクラブの会員になっていた。中村くん!齋藤さん!大久保さん!土曜日や日曜日になると大勢集まった。叔母さんの娘のBは中村くんがそうとうに好きだった。と思う。でも叔母さんは一流の大学を卒業している男性が目当てなので。中村くんは叔母さんには眼中になげなのがわかって中村くんが気の毒に思った。確か中村くんは高崎工業高校の機械科出身だと思う。それで吉野工業製作所に入ったらしい。
その後。一年後か二年後に藤岡市神田の小暮さんがテニスクラブに入ってきた。仕事は測量士。小暮さんは白いTOYOTAマークⅡに乗っていた。その当時。一番人気のクルマでした。また小暮さんはお金がいっぱいあるような話しでした。小暮さんは叔母さんのお気に入りになった。小暮さんがうちの娘と結婚してくれたら良いのだけれどと言った。でも小暮さんは。俺は駄目なんだ!!ああいうハキハキした女性が一番苦手なんだよ!と話していた。だからその頃はまだA子さんの結婚は決まって無かったと思う。また小暮さんの友達が来た。藤の丘美夜之窯の陶芸家でした。名前は本多くんと言った。またA子さんの女友達もきた。名前は忘れました。群馬銀行安中支店で働いていた。おとなしい感じの子でした。でもテニスプレイは上手くてファハンドはしっかりとした強いボールを打っていた。

 

 

 


1990年代はスキーブームでした。慶一の仲の良い中里とテニスクラブの小暮さんがいっしょにスキーに行ったらしい。どこで知り合ったのか?それは。意外な組み合わせだと思った。あとで中里に聞いたら。青少年センターの料理教室。中里は男性なのに女性がいっぱいいて花嫁修行の女性に混じってクリスマスケーキ作りに参加していた。そこで神流支店金融係で下戸塚の中山さんと知り合いになったらしい。小暮さんのTOYOTAマークⅡにはJA神流支所の中山さんがいた。もうひとりの女性がいたらしいがその女性は知らない。女性2人と男性2人。たぶん苗場スキー場だと思う。中里が派手好きだから。ユーミンの「スキー天国サーファー天国」をよく聴いていたし。慶一はスキーが苦手。どうも楽しくない。それなのでスキー道具を持ってはいたが。中里に誘われても拒否していた。職場では。スキー大好きの中山さんはスキーをしない男性は嫌いだ!!と遠回しに慶一を非難していた。口うるさい女性だった。それに慶一のJA生命保険の勧誘成績が悪いことも職場で話していたらしい。それなのに慶一が農協の仕事をサボってテニスクラブに通っていることも何故か?気にしていた。たぶんテニスクラブに好きな女性がいるのだろう!とだからあんなに毎晩とテニスばかりしているのだろう!と職場で言われた。慶一は中山さんを気が強くて口うるさいと思っていた。でも。慶一は中山さんと同じ神流支所で働いていたら。どうなったかわからない。慶一はおとなしくてM系の男子なので。慶一は気が強い女性が大好きでした。慶一はおとなしい女性は一番嫌いなタイプでしたから。また中山さんは芸能人の中山ビデちゃんの身内でした。だから藤岡市では中山一族を知らない人がいなかった。でも慶一は平井支所だから。まず会うことも無かった。それに慶一はスキーがいくらやっても好きにならないのだから仕方がない。それは農協の橋本くんからも言われていた。また中里からはスキーをしないと結婚できない!!と言われた。

冬場だった。寒い日でも。白い上下ヨネックスのウェアーを着てテニスクラブに毎晩通った。ある日。テニスクラブの叔母さんに言われた。新井さんは二股かけているの?と。まさかウチの娘と中山さんの天秤かけているのだろう!と言われた。山口先生からは。新井慶一はだらしのない人間だ!!と言われた。あっちこっちに女性にちょっかい出しているふざけた男性である。と言われた。でも慶一は何にもしてないし。二股かけているなんて!僕がそんなにプレイボーイではないよ!と思った。その頃から徐々にテニスクラブでの立ち位置が悪くなった。どうしてこういうふうに慶一を悪い方に悪い方に向かわせるのか?誰か。山口先生の奥さんに新井さんが二股かけているよ!と告げ口でもしたらしい。それはまいった。してないのにしていると言われるくらい辛いものは無かった。だって慶一は繰り返し言うけど。女性とデートもしたことが無かった。

その頃だと思う。陶芸家の本多君が。山口先生の娘さんの彼がテニスクラブで叔母さんと話していたよ!と言った。その男性は礼儀正しく背が高くて色白で営業マン風と言っていた。陶芸家の本多君もA子さんが好きだったらしいから。ちょとだけ。ガッカリしていた。慶一は目の前真っ暗になった。恥ずかしさで穴があったら入りたくなった。テニスクラブの叔母さんのお気に入りは藤岡市神田の小暮さんでした。その小暮さんは叔母さんの娘さんのA子さんが一番苦手だと言っていたし。叔母さんから慶一は二股かけていると言われるし。藤岡市小野の縫島さんからは先生の娘を好きになるのは。「 新井さん!おこがましいよ!!」と忠告されたし。やめなさい!!と暗に言われた。ここではっきりと言います。中山さんとは。デートもしてないし。話しもしてないし。何にもない。確か農協のスキー同好会でみつまた・かぐらスキー場でいっしょになったことがあるぐらい。中山さんはその年に結婚した。そしてそのあと少し経ってからテニスクラブの娘のA子さんが結婚した。その時。やっぱりテニスクラブの叔母さんの娘のA子さんが一番好きだったことがその時わかった。だいいち神流支所の中山さんが結婚した話しを聞いても。そんなに動揺もしなかったから。

 


僕は先生に告げ口をしたのは小暮さんだと思う。小暮さんは叔母さんと仲が良くて。テニスクラブのクラブハウスでコッソリと話していたのを見ていたから。その時意味深な目つきをテニスクラブに来たばかりの僕に注いでいたから。また嫌な話しをしているなぁ!と思ったが。まさか僕の働いていた藤岡農協の職場内の話しだと思っても見ませんでした。また。農協職員は軽く扱われると思った。中里は藤岡市役所の建設課で。小暮さんは建築会社の測量士でした。どちらも公共事業関係だから。給与も良くて。安定していた。それを農協職員の独身女性をスキーに連れ回して。結婚するわけでもないのに。スキーの帰りにカラオケや居酒屋を感じたから。中里だけならば安心だけど。小暮さんがひとりだとちょっとだけ危ない感じでした。なおさら可哀想なものだ!!と感じ、また。数日前のスキーの雑談で盛り上がっていたらしい。それは想像ですが。たぶん。テニスハウスで叔母さんと小暮さんはそんな話しをしているのだろう?と慶一は思った。その時偶然にも。僕がテニスクラブのドアを開けた時に嬉しげに話していたから。

神田の小暮さんは。僕と逆でスキーが大好きでテニスが嫌いでした。僕はテニス大好きでスキーは大嫌いでしたから。また新井慶一はM系男子。小暮さんはS系男子でした。だからその日も小暮さんはテニスをしないで帰っていた。「.こんなところでテニスなんかしても面白くもなんともない!!」と平気で喋っていた。そのおおらかな話しぶりに叔母さんは。小暮さんは。歯に布を着せない喋り方に笑っていた。どうしてかと言うと。テニスクラブの叔母さんもスキーが大好きでしたから。まさかその時。僕の話しをしていたらしい。その時期がスキーシーズンと重なっていたから。やっぱりテニスクラブで大勢が集まると。話しが合う仲間同士で。仲のあんまりよくないひとたちの悪口を言うようになるものなのだろう。その頃。僕は話し相手が少なくなってきたから従兄弟の中野をテニスクラブに入会するように勧めた。中野はまだ独身でした。茨城大学農学部を卒業して群馬県庁に入っていたから。僕は叔母さんの娘とは結婚出来ないと思ってきたから。出来たら従兄弟の中野ならば。叔母さんの娘とちょうど良いかもしれないと思った。だいいち叔母さんは新井さんは大学を卒業しているの?4年生の大学を卒業しているように見えない。そんなことを話していた。中野がテニスクラブに入ったら。急にテニスクラブの経営が傾き始めた。中野は群馬県の県庁職員。他のテニスクラブのメンバーは。街の中小企業の労働者ばかり。話しが合わない。ナイターテニスは労働者の息抜きだったのが。中野がテニスクラブに入ったら。格差が出てきてしまった。吉野工業製作所やその他。街の中小企業の労働者は。急にテニスクラブを辞めて行った。たとえば。吉野工業製作所の齋藤さん。大久保さん。来なくなった。立川さんも休みがち。何故か?中村君は頑張ってましたね!!でもその代わりに群馬銀行の宮下さんと群馬県庁の中野がテニスクラブの中心になってしまった。宮下さんは良い人だし。中野も良い人なのに。中野はTOYOTAランドクルーザー4WDだし。他のテニスメンバーは一般の大衆車。これならばみんな辞めちゃうのは当然だけど。まさかこんなことが起きるとは思っても見なかった。そしたら。叔母さんは県庁の中野さんをテニスクラブに入れたのは。新井さんだから。新井さんがテニスクラブを悪くしたと言い始めた。僕はそんなつもりではなかったのに。そうなってしまったとしか言えない。だって。テニスクラブのオーナーの叔母さんの娘さんには。群馬県庁の従兄弟ならば。お似合いだと思っただけだから。またその後。僕はテニスクラブを辞めた。小暮さんとはそんなに友達でもなかったし。陶芸家の本多さんも良い人だったし。また縫島さんはとっくに辞めていたし。中里は最後までテニスクラブに入らなかった。またみんな辞めたから。僕は急に居場所がなくなったと感じてきたし。それまでは土曜日も日曜日も朝9時から夕方までテニスをしていた。そして辞めたら。僕自身が目の前が真っ暗になった。だいいちその時はもう34歳になっていた。何にもなかった。中里の言ったことが事実になった。テニスクラブには行かない方がいい!!すぐに辞めないと人生を失うぞ!と僕に警告していたから。そしたら農協では。新井さんがテニスクラブを悪くしたらしいと言われた。そんな悪いことはしてないから。ここではっきり言っておきます。そうなるようになったとしか言えない。

その後。従兄弟の中野は群馬県テニス協会の役員や藤岡市テニス協会の役員のトップまで行くほどテニス好きだから。僕はテニスクラブの叔母さんの娘さんには。やっぱり中野がピッタリだと今でも思っています。

テニスの思い出!!プラス➕!!

僕は先生に告げ口をしたのは小暮さんだと思う。小暮さんは叔母さんと仲が良くて。テニスクラブのクラブハウスでコッソリと話していたのを見ていたから。その時意味深な目つきをテニスクラブに来たばかりの僕に注いでいたから。また嫌な話しをしているなぁ!と思ったが。まさか僕の働いていた藤岡農協の職場内の話しだと思っても見ませんでした。また。農協職員は軽く扱われると思った。中里は藤岡市役所の建設課で。小暮さんは建築会社の測量士でした。どちらも公共事業関係だから。給与も良くて。安定していた。それを農協職員の独身女性をスキーに連れ回して。結婚するわけでもないのに。スキーの帰りにカラオケや居酒屋を感じたから。中里だけならば安心だけど。小暮さんがひとりだとちょっとだけ危ない感じでした。なおさら可哀想なものだ!!と感じ、また。数日前のスキーの雑談で盛り上がっていたらしい。それは想像ですが。たぶん。テニスハウスで叔母さんと小暮さんはそんな話しをしているのだろう?と慶一は思った。その時偶然にも。僕がテニスクラブのドアを開けた時に嬉しげに話していたから。

 


神田の小暮さんは。僕と逆でスキーが大好きでテニスが嫌いでした。僕はテニス大好きでスキーは大嫌いでしたから。また新井慶一はM系男子。小暮さんはS系男子でした。だからその日も小暮さんはテニスをしないで帰っていた。「.こんなところでテニスなんかしても面白くもなんともない!!」と平気で喋っていた。そのおおらかな話しぶりに叔母さんは。小暮さんは。歯に布を着せない喋り方に笑っていた。どうしてかと言うと。テニスクラブの叔母さんもスキーが大好きでしたから。まさかその時。僕の話しをしていたらしい。その時期がスキーシーズンと重なっていたから。やっぱりテニスクラブで大勢が集まると。話しが合う仲間同士で。仲のあんまりよくないひとたちの悪口を言うようになるものなのだろう。その頃。僕は話し相手が少なくなってきたから従兄弟の中野をテニスクラブに入会するように勧めた。中野はまだ独身でした。茨城大学農学部を卒業して群馬県庁に入っていたから。僕は叔母さんの娘とは結婚出来ないと思ってきたから。出来たら従兄弟の中野ならば。叔母さんの娘とちょうど良いかもしれないと思った。だいいち叔母さんは新井さんは大学を卒業しているの?4年生の大学を卒業しているように見えない。そんなことを話していた。中野がテニスクラブに入ったら。急にテニスクラブの経営が傾き始めた。中野は群馬県の県庁職員。他のテニスクラブのメンバーは。街の中小企業の労働者ばかり。話しが合わない。ナイターテニスは労働者の息抜きだったのが。中野がテニスクラブに入ったら。格差が出てきてしまった。吉野工業製作所やその他。街の中小企業の労働者は。急にテニスクラブを辞めて行った。たとえば。吉野工業製作所の齋藤さん。大久保さん。来なくなった。立川さんも休みがち。何故か?中村君は頑張ってましたね!!でもその代わりに群馬銀行の宮下さんと群馬県庁の中野がテニスクラブの中心になってしまった。宮下さんは良い人だし。中野も良い人なのに。中野はTOYOTAランドクルーザー4WDだし。他のテニスメンバーは一般の大衆車。これならばみんな辞めちゃうのは当然だけど。まさかこんなことが起きるとは思っても見なかった。そしたら。叔母さんは県庁の中野さんをテニスクラブに入れたのは。新井さんだから。新井さんがテニスクラブを悪くしたと言い始めた。僕はそんなつもりではなかったのに。そうなってしまったとしか言えない。だって。テニスクラブのオーナーの叔母さんの娘さんには。群馬県庁の従兄弟ならば。お似合いだと思っただけだから。またその後。僕はテニスクラブを辞めた。小暮さんとはそんなに友達でもなかったし。陶芸家の本多さんも良い人だったし。また縫島さんはとっくに辞めていたし。中里は最後までテニスクラブに入らなかった。またみんな辞めたから。僕は急に居場所がなくなったと感じてきたし。それまでは土曜日も日曜日も朝9時から夕方までテニスをしていた。そして辞めたら。僕自身が目の前が真っ暗になった。だいいちその時はもう34歳になっていた。何にもなかった。中里の言ったことが事実になった。テニスクラブには行かない方がいい!!すぐに辞めないと人生を失うぞ!と僕に警告していたから。そしたら農協では。新井さんがテニスクラブを悪くしたらしいと言われた。そんな悪いことはしてないから。ここではっきり言っておきます。そうなるようになったとしか言えない。

 


その後。従兄弟の中野は群馬県テニス協会の役員や藤岡市テニス協会の役員のトップまで行くほどテニス好きだから。僕はテニスクラブの叔母さんの娘さんには。やっぱり中野がピッタリだと今でも思っています。

お正月

お正月から月末まで

 


息子の慶一が言った。お爺さん!やっと里菜の住所がわかった。すぐに行ってくる。お爺さんが言った。よくわかったなあー。と言った。慶一はやっぱり父親だよ。住所は川越市今成町だ。慶一は財布を見た。数万円あった。でも高速道路を使わずに。国道254を走った。久しぶりに埼玉県でした。昔。慶一は城西大学に通っていた頃は。毎日見慣れた道路でした。50年前も今も道路そのものは変わってない。越生町から毛呂山町を通って坂戸市に着いた。街の真ん中は混んでて。失敗したと思った。これならば。日高町まで行ってから日高川越線の道路を走れば良かったと思った。入間川手前にガストで休憩した。スマホのナビゲーションの使い過ぎで充電しないといけなくなる。そこから西川越市は直ぐでした。入間川を渡った。田んぼがあり。回りは農家が多く。どちらかというと侘しい感じでした。西武線東武線が2本並行に走っていた。そういえば。夏頃。娘の後を電車に乗って。後をつけた。そしたら西川越駅で降りた。その時は行方がわからなくなる。駅は小さく。それにしても。辺鄙な町。何にもない。そんな印象でした。 こんなところに5年間も置いて気ぼりにしてしまったことを悔やんだ。里菜!!悪かった!さぞ。つまらなかっただろうに。家に帰りたくなったら。すぐに帰ってきてくれた方がよかった。娘はまだ子どもだった。慶一は娘が家を出た日を覚えていた。なぜか?里菜は大喜びしていた。それが。だんだんと歳を重ねるたびに。顔から笑顔がなくなり。もともと太り気味だったのが。骨ばかり痩せてしまった。あんまり食べてないようでした。そんなことを思い出したりしながら。やっとアパートが見つかった。3階建ての301でした。長い時間。アパートの駐車場にクルマを止めて待っていた。寒くなるとすぐ近くにあるファミリーマートでコーヒーを飲んだ。そしたらうまかった。またアパートに行った。確か夕方の5時から8時まで待っていた。周りの地形を調べたり。どこかそこらにご飯でも食べるところがあって寄ることもあるかと思って見渡した。何にもない。駅の反対側に喫茶店がある。そこならば里菜が寄りそうかなぁと思った。里菜がまだ元気だから。それだけが嬉しい。その日は会えませんでした。でもその日は寒い日で北風が強く吹いていた。クルマの中で凍えていた。時々隣や真下のアパートの出入りがあった。また。迷子にならない程度に近所をクルマで流した。あまり楽しい場所ではなかった。悪いことをしてしまった。妻は帰って来い!!と言ったとか。高崎市にアパート借りてくれた方がよくないか?とか娘に言ったらしいが。娘が言うことを聞かないらしい。その辺の娘の気持ちはわからない。その日は夜の8時に家に帰った。そしてお爺さんに里菜のアパートに行ってきたよ!と話した。ポストにジャニーズのファンレターの葉書が届いていたから。もらってきた。確かに里菜が住んでいるよ。と言った。その後。慶一とお爺さんはまた。激論になった。それというのも。川越市の隣り町。ふじみ野に行かせたのは。お爺さんでした。その頃。慶一の家は貧乏でした。里菜が卒業したらすぐに就職してもらわないと里菜の奨学金の返済が始まる。それなので慌てて就職させてしまった。その時。お爺さんが専門学校まで行って。ふじみ野の介護施設を探してきてしまった。慶一は里菜を藤岡総合病院の理学療法士にさせたかった。それなのに。そんな遠くに行かせてしまったことを。お爺さんに詰問した。そしてその結果。里菜をこんな可哀想な思いをさせた!!慶一はカンカンに怒った。それは。お爺さんの悪い癖でした。なんでも働けば良い!!そしてお金さえ持ってくればイイ。里菜の未来とか。また。悪い男性に騙されるとか。そんなことを心配もしない。また。その後。娘の里菜が住所や働いている会社を隠してしまった。だからますます縁遠くなる。里菜は。慶一といっしょに生活している時は。「わたしは早く結婚するの!そして赤ちゃんを産むの!!25歳まで結婚するわ!!」とそればかり話していた。里菜は普通の女の子よりもませていた。年齢も同級生よりも歳上に見えた。また。身長も高くて痩せていた。そのせいか。歳上の男性が好きらしい。里菜は?同じ歳の男性は駄目なの?話しが合わないの?と変なことを話していた。また。こんなことも言った。「里菜は子どもの頃は可愛かった!!」とそればかり話した。今でも美人だよーとこころの中で思った。里菜の外見がちょっとだけ変わった。コートが黒になった。それは。なんか。暗い人生をじっと耐えているかのように見えた。また女の子だから容色が衰えた。気の毒だと思う。妻は大馬鹿だ!!里菜も大馬鹿だ!!年配者はよく知っている。実は。家族仲良く一緒にいる事がもっとも幸せなんだよ!!とこころの中で叫んだ!!

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

娘がお正月に来た!!父親の僕には似てない。ほんとうは寂しがり屋なのに。何故か?母親思い。母親に楽をさせることを本気で考えている。里菜が頑張るから💪💪。里菜がマンション買って母親を呼んで。母親に働かせないで。里菜が頑張るそればかり話していた。そんな娘がお正月に来ました。でもそんなことを本気考えても。世の中そんなにあまくないと話した。新築のマンションは値段が高い。ローンを組めば。毎月の支払いもあるし。大変になる。少しは貯金もしないといけない。全額ローンは。ちょっとだけ危ないと話した。そんな自慢の娘でもある。それでも怖がりだから。ワクチンは打たない。副作用が怖いからと。昔から怖がりなのに。何故か?群馬県から埼玉県川越市今成町にアパート借りてひとり暮らしを始めた。もう専門学校卒業したから。ある程度は食べていけるから。それでも心配は心配。お爺さんがよし!!俺が藤岡市議会議員の〇〇に話して。今度は藤岡市の病院で働くように。聴いてやるよ?ともう遅いと思うけど。そんな話しをしていた。

 


娘がお正月帰って来た。まだ25歳なので。まだこれから間に合う。いろいろなことがあるし。なんとか。あと2年か3年は大丈夫かな。女の子は30歳を過ぎると。結婚出来ないから。それなので。実の妹に誰か良い人がいないか聞いてみた。そしたら明日。お年賀に家に来るから。その時に話すという。

 

 

 

お正月に娘が家に遊びにきた。そう言えば去年は哀しい年でした。母親のお葬式がお正月だった。その前の年も。そんなに楽しい思い出がない。その前の年もない。やはり上の娘が家から出てしまったから。家族にポッカリと穴が空いた。上の娘が僕の自慢の娘でもある。それはそうだろう。初めての子どもだし。物おじしない。サッパリと性格なところが。僕の家系にない性格なので。また身長も高く。身体も痩せている。娘はジャニーズの大ファンでもある。男性は格好良い人が好きらしい。また。休みの日は。好き勝手にひとり旅に行く。お金を稼いでいるせいか。入ってきたお金を全部使った。もちろんのこと。娘は娘。娘の好きにさせていた。今のこの時勢では。僕は。丈夫ならば良いと思っている。コロナ禍でワクチンを打って。あんまりワクチンが合わないで急死することもある様に見受けられる。でも。いろいろな思い出があるが。悪いことも多い?それでもなんとか上の娘が元気そうでなにより。ワクチンは打たないと自慢していた。だってひとり暮らしでワクチンでも打ったら危ないわ!と話していた。今年は。また家にきた。少しだけ明るいし。彼が出来たらしい。そんなことを母親から聞いたから。あのね!里菜に彼が出来て。家までクルマで来たよ!と話していた。写真も撮ったらしく。父親にそっと見せていた。お爺さんは訳がわからんが。それでも写真に若い男性が写っていたとか。やはり男性の陰が、チラチラしていた方が嬉しい。だって。都会の片隅でずっとひとりなのは哀しい。また哀れ。話し相手がいるだけで良いかと思う。ただいっしょにご飯を食べてくれる人がいるだけでも嬉しい。僕がいっしょに居られれば良いが父親は要らないらしい。でも情報が入らないから。何故か?下の娘がよく知っていて。里菜ちゃんに彼が出来来たよ!と話していた。やはり僕や父親には言わないが兄弟の下の娘には喋っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

家族揃って。東京ディズニーランドに行きました。

もう。20年も前。まだ。本庄早稲田駅が出来たばかりで駐車場が無料でした。クルマで藤岡市から本庄市まで行き。新幹線に乗って東京ディズニーランドに行った。二人の娘は喜んだ。帰りには本庄インターチェンジ近くのカッパ寿司に行った。またカレーのCoCo壱の時もあった。それらも楽しい思い出です。そんな楽しい思い出も。今は無くなった。それが一番辛い。上の女の子は恥ずかしがらない性格なので。よく一緒にお風呂に入った。また。旅館に泊まっても食堂まで。スッポンポンの裸で飛び回った。まわりの大人があれあれと驚いた。また。たまには。日帰り温泉に行った。そんな時も平気で女風呂から男風呂に飛んできた。もうその女の子が大きくなって。アパートでひとり暮らしをしている。父親の僕は。そっとアパートを眺めた。娘は旅行好きらしい。どこか遠くにひとり旅に行くのが趣味なんです。そして温泉に入ってくるらしい。携帯電話の待ち受けは。いつも鄙びた温泉のお風呂。そして。猫を飼っている。誰か好きな人が出来たら良いと思うが。この時勢だから。なかなか見つからないらしい。でも娘は家に戻らない。どうしてかというと。やっぱり娘も家族が持ちたい。いつまでも僕や母親と旅行するよりも。彼が欲しいからだろう。

 


いっしょに暮らすわけにはいかないし。女の子のひとり暮らしは気の毒で。それでいて。パパは絶対に来ないでと念を押される始末。東京ディズニーランドへいくと必ず雨が降る。家族揃って。ミッキーマウスのカッパを買って記念写真を撮りました。僕は雨が降るし。また仕事疲れの寝不足もあり。子どものように楽しめ無かった。それでも我が家が必ず。ディズニーランドへ行くと。ハウス食品のカレー屋さんに寄った。シンデレラ城の後ろで。it'ssmall worldのアトラクションの前にあり。値段も安くて。カレーが600円だったから。毎回毎回我が家の定番でした。それがもう行くことがない。寂しくて寂しくて。涙が止まらない。

 


今年のお正月に来ました。仕事が介護施設理学療法士なので。1月2日には帰った。結婚はしてないが。少しは男性との出会いらしいものもぼちぼちあるが。この時勢で男性に稼ぎがなくて結婚もままならないらしい。それでも母親と下の娘と上の娘の3人で。スズランや高島屋に福袋を買いに出かけた。

そんな僕や母親を慰めるためなのか。彼がいるよ!筑波大学だよとか。学習院大学だよ!と。まったく

出鱈目の話をしたり。それに僕や母親が毎回一喜一憂する始末。また。そんなことあるわけないよー。だって我が娘は。まるで馬鹿だし。そんな大学卒業した男性がいるわけないし。いても。騙されているような節があるし。でも今年のお正月は哀しそうな顔をしていた。親には分かる。親は娘をちょっとだけ見ると。ほんとうに悲しそうでした。なんとか出来ないかと思っているが。クルマの中で。誰が娘と結婚してくれないか?そんなことを考えていた。でもまだ間に合う。諦めない。必ず。良い彼が現れる。そして僕が東京ディズニーランドに家族揃って行ったように。娘も家族が出来ると思う。また家族が出来てくれないと困る。やはり幸福とはなんだろう?と思うと。家族団欒だと思う。家族揃って。クリスマスケーキが食べたいよう!また。ピザーラでクリスマスにピザ🍕を取って食べたいよう!僕が定年になり。仕事も無くなり。年金暮らしをするようになると。家族がバラバラになってしまった。ただ下の娘が去年から城西大学薬学部に通い始めた。下の娘は大学生活が楽しくて楽しくてそれはそれはいつもニコニコするようになってきたこと。下の娘は。勉強好きなんです。頭は良くないけど。ただ本を読むのが好きなんです。それが少しだけ今年の良かったことなんです。僕の思いは。やはり家族は。朝ご飯を食べて。行ってくるよ!と言って。夕方になったら。また家族みんな揃って夕飯を食べることだと思う。その繰り返しがもっとも尊い!贅沢なんか要らない。僕の楽しかったことは。みんな揃って。お切り込みうどんを食べたこと。お婆さんがいて。お母ちゃんがいて。兄弟がいた時なんです。家族はバラバラになると。悪いことばかり起きる。バラバラになってはいけない。また思い出ばかり浮かぶ。そういえ。お母ちゃんが居ない。お母ちゃんは毎日毎日。お切り込みうどんを作ってくれた。さつま揚げが大好きだから。慶一のお椀には。いっぱいさつま揚げを入れてくれた。それを父親がとると。お母ちゃんはこれは。慶一に買ってきたの!と怒った。そんな母親も居ない。

そんな気の強い

 


里菜が死んでしまうから。という妻の言葉だけが頭に強く残っていた。冬は寒い。里菜はひとり暮らし。仕事から帰って来れば。疲れてしまう。誰も居ない部屋でどれだけ長い時間過ごしたのだろうか?それを考えると不憫で仕方がない。やっと夢がかなったのだから。彼が出来た。彼が部屋に来てくれた。寂しくて死んでしまうような。そんな時に彼が一緒にいてくれれば安心できる。里菜は彼といる時が一番楽しいのだから。そんな楽しい時間は少ない。人生は短い。特に楽しい時間は少ない。二人の邪魔をしたりしない。今が一番楽しい時間なのだから。仲良くしていてね!パパは何にも言わない。二人で一緒に楽しくしてくれるだけでいいよ。藤岡市に戻るとか桶川市にお嫁に行くとか。川越市にそのまま住むとか。それは二人で相談して決めればいいよ。お爺さんもパパはもう先が無いから。マンションが買いたければ。お金も出してあげる。でも質素が良ければ。アパート住まいもよし。必要ならば僕のあるゆるものなんでもあげるよ。里菜は僕の宝なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


里菜は頭が悪い。それでも高校を卒業してから専門学校に通った。その頃は。僕自身がどん底でした。サラリーマンの55歳過ぎなど。仕事もない。警備員したり。草津温泉で下働きをしていた。娘の奨学金もやっと借りた。その借金もありました。だから

 


何もしてやれなかった。その数年前に僕は藤岡市議会議員選挙に出た。その時当選していたら。もっと変わっていた。その時はガッカリした。また。なんとか家族を立て直しも出来た。その頃から徐々に家庭が悪くなった。それでも娘は頑張っていた。専門学校も卒業した。そして就職の時でした。僕は何にもお手伝いが出来なかった。それは申し訳なく思っている。それでも。里菜は就職が出来た。その時は。こんなものか?

と思った。ちょっとだけ安易に考えていた。これがあとあと。尾を引いた。娘は。埼玉県ふじみ野の会合施設で働き始めた。その時。何故か?手を離した。娘はその後。群馬に戻らなくなってしまった。ふじみ野の隣り街は川越市でした。都会化されていた。娘はその場所が気に入った。それも困りもの。連絡もしなくなった。アパートも値段が高いところに引っ越した。それでも娘の様子は真面目だから。あんまりお化粧もしないし。介護施設を行ったり来たりしているのだろう。と思った。母親が連絡を頻繁にしていた。だから尚更安心した。それでも気がかりになった。でも。アパートも教えない。職場も教えない。まったく。家族から逃げるように消えた。でも。何にも無いのは無事の印だと思って。なるべく考えないようにしていた。ただ。

里菜が就職で来たときは。里菜は大喜びしていた。あの時が里菜が一番綺麗だった。里菜は嬉しい時は。身体全体で喜びを表現した。だから。尚更。安心した。またあんな里菜にもうとうぶんのあいだ会えなくなることに。寂しさを感じた。でも。家から逃げるように出て行った。そのあとは。滅多に帰らない。里菜に会えなくなっていった。それからもう5年間経つ。娘は徐々に明るさをなくしていった。顔は。伏せるようになった。声はキンキンと激しさを増した。仕事が辛いからだろう。それでも。群馬県に戻らない。こっちからも会えない。どうしたら良いのかわからない。だから。警察署に相談にも行った。しかしながら。警察署はプライバシー侵害に当たるから。これ以上個人の問題には立ち入らない。と言われた。お爺さんと父親は呆然とした。ただ。僕は娘が目の前で不幸になるのを見ていられない。なんとかしてやりたい!!娘は。人生の失敗をあえてしていた。僕たち。目上の人達は再三この失敗をくり返えしていた。親の言うことを聞かない。それは。本人の自己判断かもしれない。でもそれは危ないよ。人生は危険に満ちている。だから父親やお爺さんの言うことも聞くことだと思う。それなのに。なんでもひとりでできると思っているが。まずはそれは無理だと思う。だからまだ。25歳なのだから。なんとか群馬に連れ帰りたい!できたら高崎市の病院に働いてもらいたい。その方がみんなが安心する。それが娘にはわからない。都会は。そんなに生きやすくない。都会は厳しい。都会はお金がないと何にもできない。今日はお爺さんと話をした。そしたら。里菜が嬉しそうにしていたから。良かった!!それだけ言った。それにしても娘は頑固でした。どうしてこんなに頑固なのかわからない。帰って来なさい!!と言うと。群馬はつまらない。何にもない。それは気持ちはわかる。突然に。群馬に戻れば。仲良しの友達からも離れて。人間関係がゼロになる。また一からやり直しするのが辛いと言う。それもわかる。最初から仕事はしないで数年間は遊んでいてもいいよとは言っている。

里菜には相手の彼がいるらしい。が。僕はそんなに期待してない。だって。里菜が気が弱くなっていた時に知り合ったから。それは。危ないよ!人間関係は切磋琢磨した時に出会う。最高の友達の中で出会うこと。そうしないと。相手が分からない。どんな友達がいて。その中でどんな立ち位置なのか?それを判断材料にすること。それなのにこっちにはスキがありすぎて。相手の思うままになるよ。いいクルマとか。見た目だけとか。弱さにつけ込まれたら。娘は簡単に落とせる。また。綺麗事が多すぎて怖い。筑波大学卒業だと言う。数ヶ月後は学習院大学という。それは愛子様裕仁様の学校だろう。そしてコンピューター関係だと言う。身綺麗なのも不快である。僕は。いつもワークマンのズボンやワークマンのコートを着ているから。また30代から40代の時も。UNIQLOしか着ない。だって。贅沢な服装している男性が僕自身が嫌いだから。服なんて汚いものを身につけている男性が僕は好き。

 

 

 

鎌倉に海水浴に行った。里菜が小学生でももかは幼稚園ぐらいだった。里菜は旅行が大好きでした。特に温泉に入るのが大好きでした。その日も鎌倉の材木座近くのホテルに泊まった。毎年同じホテルに泊まった。料理もおいしいし。それに会社の寮なので。家族的でした。里菜はもう小学生なのに。お風呂から飛び出して。食堂まで。裸で飛んできた。周りのお客様が驚いた。あれー?そんなことは気になれない。里菜は嬉しいと。裸で飛んで回った。また。連れて来てね!と繰り返した。

 

 

 

娘は親の言う事を聞かなくなった。僕は娘の部屋の前まで行きました。そしてドアを開けた。外は寒い風が強く吹いていた。里菜が元気そうでなにより。それも彼が一緒だから。有頂天になっていた。里菜の声でわかった。里菜があんなに嬉しそうな姿を見たのが一番嬉しかつた。だって。ずっとひとりぼっちだったのだから。部屋に彼が来てくれただけで。嬉しくって嬉しくって。まるでDr.スランプあられちゃんになっていた。慶ちゃんがきた!!と驚いていた。今までは。辛いのをじっと我慢していたから。そのはずみで。嬉しいのだろう!!周りは新婚さんなどの家族大勢で住んでいるアパートだから。尚更。ひとり暮らしは辛かっただろう。我慢しないで群馬に戻って来れば良かったのに。でも明るい部屋でカーテンも明るい黄色なのも。親としては嬉しい。

 


娘が嬉しげでした。だから安心した。娘の声が弾んでいた。部屋が明るいから。外から見たら。幸福感がありました。ドアの外から中を覗くと。子どもの頃の娘がいた。娘は辛い時は。声のトーンが下がる。じっと辛さに耐えていた。でも少しでも明るくなると。急に嬉しげにはしゃぐ。今日ははしゃいでいた。まるで幼稚園児のように見える。それはそうだろう。僕の知っている娘は。まだ幼稚園児の時だから。部屋はカーテンの反射で黄色くなっていた。室内は綺麗。靴も綺麗。外には新車のHONDAが置いてある。なんでも楽しければ良い!!そう思った。娘が嬉しげで良かった。それが何よりも嬉しい。娘がたった一人ならば悲し過ぎて。そしたら家に連れ帰るつもりだった。でも嬉しげなので。ホットした。娘は急に老けた。まだ25歳なのに。介護施設で働くと。やっぱりたいへんなのだろう!たとえば。身体付きとか。ちょっとだけ骨っぽくなっていた。でも今日はそんなことはない。歳が離れていても気にしてないから良かった。

 

 

 

 


僕の脳みその中には。まだ娘は2歳ぐらい。そのイメージがある。ご飯を食べているのは。食卓に準備した子ども用の椅子。その上に乗っかって。ご飯を食べていた。テレビ漫画が大好きで。ポケモンばかり観ていた。楽しいことが好きなので。温泉に泊まりに行くと大喜びした。だからそんな喜びがずっと続いてくれることが父親の願いだ。寂しくて寂しくてアパートで泣いているのでないから。ホットとした。アパートは大きい部屋だから。周りの住民も新婚さんや家庭持ちが多い。そんなアパートでひとりぼっちならば可哀想だと思う。それが彼が一緒にいてくれて。親としてはホットとしている。

 

 

 

里菜が死んじゃうよ!!と由紀子が言った。だから里菜をそっとしておいて!里菜はやっと彼が出来たの!里菜の部屋に彼が来てくれた。里菜はそれが一番嬉しい。だから。いつまでも仲良くしていてもらいたい。と妻の由紀子がいう。僕もそうだなぁと思った。里菜をたったひとりで長い時間。孤独にさせてしまった。それも5年間も。それが悔やまれる。それでも。まだ里菜は25歳だから。これから。楽しいことがいっぱいあるだろう。僕は。里菜が一日中働いてたったひとりの部屋で長い時間を過ごさせてしまって。ほんとうに申し訳なく思っている。だから彼がやっと出来たので。僕は。それでも少しは嬉しく思う。でも父親なので。どうしているか?僕は。里菜の部屋まで尋ねた。そしたら。ドアに鍵がかかって無かった。ドアを開けた。そしたら。里菜が居ました。いつもいっしょに居た里菜が。川越市のアパートな一室にいることに。ちょっとだけ戸惑う。なんでここなの。と思った。でもさ。里菜が。声だけですが。ほんとうに嬉しそうな声が聞こえてきた。あー!そして。近くに男性の気配がありました。里菜は。まるで赤ん坊のような声で。けいちゃんがきた!!なんでドアの鍵を閉めなかったの!と言った。でもその声は。はしゃいでいました。里菜は彼が。同じアパートにきてくれたから。嬉しくって!嬉しくって。子どものように。明かるい感じがした。僕は。良かった!良かった!そしてその子どもの明かるい声だけで。僕は。結婚させないと。里菜が可哀想に思った。そして。里菜をこんなに喜ばせてくれる男性に感謝した。

 

 

僕の知っている娘は。まだ。2歳か3歳なのに。いつのまにか25歳になり。社会の辛さを真正面から受けてる。そんな現場ではなくても良いのに。それもこれも僕の責任である。悪いことしてしまった。何にも助言も出来ず。あー行ってきなさい!と許した。

 


しかしながら

娘が嬉しげでした。だから安心した。娘の声が弾んでいた。部屋が明るいから。外から見たら。幸福感がありました。ドアの外から中を覗くと。子どもの頃の娘がいた。

 


娘は辛い時は。声のトーンが下がる。じっと辛さに耐えていた。でも泣き言も言わない。でも少しでも明るくなると。急に嬉しげにはしゃぐ。今日は子ども時代のようにはしゃいでいた。まるで幼稚園児。Dr.スランプアラレちゃんの雰囲気を出していた。だってアパートの部屋の中に男性が来てくれたのだから。それは嬉しいだろう。僕の娘が好きで来たのだから。

 


それはそうだろう。僕の知っている娘は。まだ幼稚園児の時だから。部屋はカーテンの反射で黄色くなっていた。室内は綺麗。靴も綺麗。彼の靴もある。外には新車の白いHONDAのRVが置いてある。あのクルマは300万円はする。僕はなんでも楽しければ良い!!そう思った。娘が嬉しげで良かった。それが何よりも嬉しい。娘が部屋にたった一人ならば悲し過ぎて。悲しげならば。そしたら家に連れ帰るつもりだった。でも嬉しげなので。ホットした。娘は急に老けた。まだ25歳なのに。老人福祉介護施設で働くと。やっぱりたいへんなのだろう!たとえば。身体付きとか。ちょっとだけ骨っぽくなっていた。でも今日はそんなことはない。相手と歳が離れていても気にしてない。だから良かった。

 


僕の脳みその中には。まだ娘は2歳ぐらい。そのイメージがある。ご飯を食べているのは。食卓に準備した子ども用の椅子。その上に乗っかって。ご飯を食べていた。テレビ漫画が大好きで。ポケモンばかり観ていた。楽しいことが好きなので。温泉に泊まりに行くと大喜びした。だからそんな喜びがずっと続いてくれることが父親の願いだ。寂しくて寂しくてアパートで泣いているのでないから。ホットとした。アパートは大きい部屋だから。周りの住民も新婚さんや家庭持ちが多い。そんなアパートでひとりぼっちならば可哀想だと思う。それが彼が一緒にいてくれて。親としてはホットとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


親や娘を見ると。その時どんな気持ちなのか?すぐにわかる。まだ決断して良いのかどうか。お爺さんや父親に話すべきか?これからどうしようか?それでも娘は。たぶんですが。別れたりしないと思う。やっと彼が出来たのだから。その間。何年も。たったひとりだったのだから。また。孤独感に襲われたらどうしようかと思うだろう。それなので。必死になっている。また。娘は。ちょっと見ただけど。ほんとうに嬉しげでした。あんなに嬉しげなのも珍しいぐらい。嬉しげでした。親としては。家に連れ帰るつもりだった。でも娘が今。群馬県に戻ると。今度は。友達が無くなる。今まで何年も。川越市で頑張っていたのが無駄になる。だから帰らないと言う。母親も心配していたが。娘が帰らないと言えば。許してしまったのだろう。

 

 

 


娘がお正月に来た!!父親の僕には似てない。ほんとうは寂しがり屋なのに。何故か?母親思い。母親に楽をさせることを本気で考えている。里菜が頑張るから💪💪。里菜がマンション買って母親を呼んで。母親に働かせないで。里菜が頑張るそればかり話していた。そんな娘がお正月に来ました。でもそんなことを本気考えても。世の中そんなにあまくないと話した。新築のマンションは値段が高い。ローンを組めば。毎月の支払いもあるし。大変になる。少しは貯金もしないといけない。全額ローンは。ちょっとだけ危ないと話した。そんな自慢の娘でもある。それでも怖がりだから。ワクチンは打たない。副作用が怖いからと。昔から怖がりなのに。何故か?群馬県から埼玉県川越市今成町にアパート借りてひとり暮らしを始めた。もう専門学校卒業したから。ある程度は食べていけるから。それでも心配は心配。お爺さんがよし!!俺が藤岡市議会議員の〇〇に話して。今度は藤岡市の病院で働くように。聴いてやるよ?ともう遅いと思うけど。そんな話しをしていた。