城西大学の思い出から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


城西大学理学部数学科に入学してからは、勉強をしなくなる。大学図書館に行き、柴田錬三郎全集を読んでいた。授業も出なかった。また微分積分のはなしを先生がしていた。また大学で微分積分するのか?あれは、好きでは無かった。それでは、数学科に入った意味がないだろう。文学部にすれば良かった。数学がわからなくなっていた。大学をやめようと思った。鉄筋コンクリート7階の最上階が図書室でした。外には、武蔵野丘陵が見えた。すぐ建物の下に高麗川が流れていた。外には。高圧線の鉄塔や遠くに狭山茶のお茶畠が見えた。これからどうしようと思った。学校が詰まらない。勉強がわからない。先生の言っている事もわからない。あれが数学なのか。わからないものを、聞いても仕方がないと思った。Kは、文化系にすれば良かったと思った。藤岡高等学校の時に友人から新井は、文化系だよと言われていた。でも藤岡高等学校の文化系は、タイプが違った。勉強しない生徒ばかり集まっていた。大学へ入ったがやはり夢中になれない。また夢中になれないなら、何事も発展しない。それは、その時もわかっていました。また下宿生活もつまらない。詰まらないから、ますます勉強しない。同級生は、頭が良かった。大学を卒業するとほとんど中学校の数学の先生になっていった。また僕のように落第ばかりしている学生も数人居ました。でも彼らは、根は数学好き。話しは、数学の事。数学オタクも居ましたね。ああいう学生は、あれで良いだなぁ。落第ではなく、また数学が学べる。と落第も気にしてないようなところがあった。あの感じなら卒業出来た。今思えば。あの時が転機だった。あの時。頑張れば、良かった。もう一度。もう一回。やり直したい。でも。もう無理なんだなぁ。相田みつを美術館では、ないが。人生は、やり直しができないだなぁ。

 

 

 

何故かしら。図書館に置いてある本で読めるのが柴田錬三郎だけだった。あとは、なんだかさっぱりとわからない本ばかりでした。内藤さんが新井さんは、卒業出来ないよ!という顔をしていた。アパートに帰ると森村誠一の本が鉄骨構造の本箱にぎっしり並んでいた。高層の死角とか新幹線殺人事件とか。その当時。読める本しか読まなかった。詰まらない本を無理して読む事は、間違いだろうと思ったから。それは、今でも同じです。無理して読まない。面白い本だけが読んだ事になると思った。図書館から学食がお決まりのコース。250円のランチを食べて家に帰った。

これは、今も同じ。62歳になりました。年金暮らしなので、時間だけは、山のようにある。する事が無くて気持ちが悪くなるようだ。昨日の前の日。昨日今日と前橋市けやきウォーク内の紀伊国屋書店に行く。スターバックスコーヒーに寄り、コーヒーで刺激を頭に与えてから。そして数時間立ち読みしてきました。読める本が無い。本を見てもドキドキしない。たとえば。文庫本に、作家島尾敏雄の死の棘について書かれた自伝が置いてあり。作者は、硫黄島の作者でした。橘久美子。読売文学賞受賞したと書いてあり。でも読みたいと思わない。また村上由香が書いた大杉栄の妻の自伝本があり。28歳で亡くなるまでに7人のこどもを産む。それも、パスした。むかしから、興味があるもの。グッドくるものだけ読む。この鉄則は、変わらない。また海外モノコーナーに行く。韓国人作家が書いた書物にぶつかる。題名は、パチンコ。上が無く。下巻だけある。試しに読んだ。そしたら面白い。立ちながら1時間読みました。パラパラ先を急ぎながら読む。主人公は、確か済州島出身。そのこどもたちは、大阪府に住む。そのひとりが早稲田大学文学部に入学しました。ここからが面白い。名前 は、ノア。勉強を一生懸命にする姿に何故かしら感動してきました。学問は、こうでなければ学べない。やはり夢中になる。情熱が感じられる。あらゆる古典を興味を持つ。ここは、まるで作者自身の体験に感じられた。作者は、ノアを通して自分の内面を書いたのだろう。まだ20歳あまりで世界文学に夢中になるところが同感しました。お金がないところとか。親戚が期待しているところとか。兄弟が仕送りしてくれたり。兄弟がアパートを探したり、家賃を出したり。とか。何故か仲良しで良かった。人間がそこにいると思った。人間のこころがあると思った。でも早稲田大学は、中退して。ノアは、根は真面目。長野県のパチンコ屋で働き始める。毎月休まず。お金は、無駄使いは、しない。そしてそこのパチンコ屋さんである日本人女性と出会って結婚します。

紀伊国屋書店群馬県にある事が不思議だ?むかしは、高崎線に乗って新宿駅まで通ったものだ。それも、30歳ぐらいまで。休みの日には、新宿東口まで通った。本がたくさんあるから。新刊本や珍しい本を探した。午後。日が暮れるとまた山手線に乗り。赤羽駅から高崎線で帰ってきました。あの頃もひとり。今も。前橋市紀伊国屋書店にひとりで、行きます。でも最近は、紙の本が売れないらしい。紀伊国屋書店にお客様が居ない。店員さんばかり目につく。せっかく紀伊国屋書店群馬県に出来たのに、もう時代が液晶画面に移っていました。Kも最近では、新聞📰も読まない。ほとんどニュースは、iPhoneの液晶パネルから見ていた。