母親が死んじゃいました!!パート2

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まえがき

 

 

 

矢作直樹さんがこんな事を書いていました。

人間は、生きよう生きようとすると生きられる。しかしもう死んでもいいや。と思うと死んでしまいます。

生と死は、自分自身が決める。医者がどんなに手を尽くしても本人が死のうと思っていたら救えない。だから誰もが生を見つめている事。死まないぞ!と言う強い気持ちを持ち続ける事である。ボクの母親は、介護施設でもうダメだと思ってしまったのだろう。だから突然。まるで自分から死の世界に行ったかのような死に方をしてしまったのだ。介護施設には、そんなに長くいた訳ではない。1年かそのくらいだと思う。ボクはその間パート社員で働いたりしていた。言い訳では無いが、正社員待遇で夜勤労働していると家族の事が蔑ろになってしまう事がある。また父親も4ヘクタールあまりの田畑で農業したり、母親の面倒みたり。といろいろで疲れるらしい。また父親は、家事が出来ない。味噌汁も作れない。ご飯も炊けない。ガスコンロもスイッチも入れない。茶碗も洗わない。そんなことは、男のやる事では、無い。威張っている。ボクは、たまに介護施設に母親の顔を見に行くと元気そうでした。でもちょっと全体的に暗いなぁーとは、思った。担当の事務員の女性にあとどのくらい母親は、生きられるますか?と訊ねると。2年か3年は、大丈夫だよ。との話しでした。それは、良かったと思った。その前の年の冬の寒い日が続いていた時に風邪から肺炎になった事がある。直ぐに藤岡総合病院へ行ったら。1週間ぐらいで治った。お母ちゃんは、強いと思った。そしたら、また介護施設に連れて行かれました。病院では、長く置いておけないからと。あの時が最後のチャンスだった。介護施設に戻さないで光病院へ連れて行けば良かった。また富岡総合病院という選択肢もありました。

 

 

 

 

 

 

 

ファミリーレストランココス藤岡店にて。

最後の楽しい思い出です。

 


 

 

 

 

 

 

 

 


 


母親が死んじゃいました。思っていたよりも辛い。ボクも死にたくなりました。半世紀以上。60年も一緒にいたから。6月に介護施設から実家に帰って来た時は、元気でした。あれ!お母ちゃん!元気になったね!と驚いた。その夜です。介護施設のトイレで倒れて頭蓋骨骨折をしてしまった。可哀そうに。朝方の4時ごろ。誰にも気づかれないで倒れていたらしい。すこし回復していたから、歩いたのだろう。それか。生きているのが嫌になって自分から倒れたのか?疑問に思って介護施設を調べるとどこにも頭を打ちつけるような危険な箇所が無い。倒れても大丈夫なような作りでした。まさか介護士が母親が言うことを聞かないから、ひっぱたいたりはしてないと思うが。それだってわからない。疑惑と心配なので介護施設に行ってみたら、夜勤者の男性介護士の名前は、教えられない。でも悪い事をやるような人では無いよと言われました。でも見た目だけ判断は、出来ない。あの人がと言う人が意外と何かしてたりするものだから。交渉しても母親が帰ってくるわけでも無いから。何も言わずに黙って帰ってきました。やはり介護施設の夜勤者がひとりだけでは、無理がある。またそんなところに入れたりするのも可哀想過ぎる。

 


 

 

 

 


その介護施設は、年寄りが10人あまり。介護士の男性は、一晩中たったひとりでお婆さんのトイレの世話をしなければならない。その時は、多分ですが。介護士は、疲れて寝ていたのだろう。安い給与で過酷な労働らしい。元自衛隊員しか務まらないとか言われた。

あまり責任感もなく、良識がある人も集まらないことも事実。また言うこと聞かないお年寄りもいます。

体力と忍耐力が必要らしい。介護施設には、トイレがまた少ない。1階にひとつ。2階にひとつ。一階だって広い。年寄りが歩くには、遠過ぎる。各部屋にひとつずつ有れば良いが。それだと建設資金がかかり過ぎるから出来ないらしい。また夜間は、暖房器具があるが普通の介護施設は、木造モルタルだから。暖房器具があっても冷える。此処が病院と介護施設のちがいだと思う。でもしょうがないなあー。もっと酷い目にあった人達もいますから。交通事故や殺人事件で死んでしまった人達もいるのだから。我慢しないといけない。と言い聞かせています。

 

 

 

 

 

 

 


介護施設は、年寄りには辛すぎる。また夜が介護士には、負担が大き過ぎる。夜間は、介護士ひとりという決まりも良くない。一般の病院は、数人は居ます。父親も一度だけ介護施設に体験的に入ったがそこは地獄のようだそうです。母親は、家に帰りたい!と言って泣いていたのを父親がまた介護施設にクルマで乗せて返してしまった。母親は、おとなしいから何も言わずにまた涙だけ溢していたとか。お年寄りは、出来るだけ家に置いて住み慣れたところに置いておく事が一番良い。介護施設は、知らない人達ばかり。ボクの母親は、無理だ。そんな場所では、生きている気持ちにもならない。母親は、以前から介護施設には行きたく無いよと溢していた。あそこに居るだけでもう死んだも同じだからと言っていた。でもおとなしいから。口ごたえする元気がもう無かった。今日も父親になんで家に置いて置かなかったかと詰問すると。まさか介護施設は、そんなに悪いところだと思わなかった。父親は、分からなかった。勘弁してくれ。という。ボクは、あそこは、はっきりと金儲けなんだよ。

 

 

 

 


 

 


  介護施設の多分ぜんぶがお金儲け。どうしてかというと。大部分は、養蚕農家が経営者なんだとか。田んぼや畑で農業してもお金にならない。それで太陽光発電パネルをやったらどうか。また大東建託のアパート経営をやろうか?それとも介護施設をやろうかと農家が頭を悩ませて。その結果。介護施設があちらこちらに乱立してしまったのだ。だから建築設計を見るとその家の跡地であることがよくわかる。家を、新しくする代わりに介護施設を建てたのだ。何故かというと国から多額の補助金支給があるから。たとえば1億円の介護施設を建てると数年までは、半額の約5000万円も補助金が貰える。それに村人達は、騙されて作る。でも作ってはみたが、それほど儲からないらしい。だからなんとかしようとしてお年寄りが集められることになっている。今まで、家で介護して最後は、病院しか無かった。その方が良かった。まさか介護施設は、病院の代わりに作られたのだから。もうすこし入居者を大切にしてくれるとみんな思っていた。しかしながらそんなことは、無かった。営利目的の一環でしか無かった。薄利多売の逆の厚利少売。農家も多額の借金を抱えてしまう。また介護施設で働く普通の女性達もいる。福祉といいながら。実はお金持ちの農家しか彼等は、行かない。どうしてかというと。ほんとうに貧しい家には、社会福祉士(ケア・マネイジャー)は、行かない。女性達は、お金にならなければ。また自分がお金が貰えないならば。わざわざ新しい軽のクルマに乗って行く意味がないらしい。慈善だけでは、人は動かない。ケア・マネイジャーだって食べて行かなくては、ならないから。またこれは、想像ですが。社会福祉士にもある程度のノルマがあるのかもしれない。でもコロナ禍では、各家庭もお金が少ないから。出来るだけ介護施設には、入れる家が減ってくるのも事実である。またこれは、正確な情報収集では無いが、今では公立の介護施設も作られ始めている。それならば、各家庭は、安心安全な公立施設に入れるだろう。

 


 2003年に規制緩和がありました。民間ができる仕事は、民間に任せる。この謳い文句で当選したのがその当時の小泉純一郎。でも矢張り上手く機能していない。民間が始めた介護施設が設備から人件費からあらゆる面で節約志向でずさんである。またこれでは駄目だから。今度は、介護施設の公立化が始まりました。良い傾向だと思います。病院関係は、民間化は、無理である。また利用者が可哀想過ぎる。介護施設内での虐待。暴言。食事を与えない。これらは、介護の現場から聞こえてきていた。これらに耳を傾ける必要があります。しかしながら公立の巨大病院への入院は問題が無い。心配ならば、絶対に公立病院に入れてください。たとえば。群馬県ならば。富岡総合病院。高崎国立病院。伊勢崎市民病院。渋川市民病院。太田総合病院。絶対大丈夫です。介護施設には、インターネット上では問題が山積みされています。ボクがケア・マネイジャーに母親の対応について聞くと。「年寄りは、遅かれ早かれ死ぬものだ!!」と言われました。彼等は、死ぬを待っているのが現状。出来るだけ早く死んで行って貰いたいのが彼等の本音かもしれない。市役所の福祉課が家に数回訪問されました。彼等も異口同音にこんな事を言う。簡潔明瞭に言うと。「年寄りよりも子供たちが大切である!」またこれも行政の本音なのだろう。ついに景気の悪化で村人達は、江戸時代の古い風習の姨捨山が復活してきました。

 


④たとえばの話し。

 

 

 

これからは、泣き寝入りはしないためにも何かあったら警察にも相談してから捜査してもらう事も考えべきである。

 

 

 

 

  これからボクの書く事は、間違いがあるかもしれません。想像して書いて見るだけです。

たとえば。こんな家も、あります。貧しくてお金が無い。お婆さんは、介護施設に入った。毎月介護施設に7万円の支払いがある。その家には、大学受験する孫がいました。やっとの事で介護施設の費用を払う。そのお婆さんが亡くなる。その家は、お婆さんの支払いがなくなり貧しさからなんとかのがれる事ができた。良く調べるとケア・マネイジャーが貧しい家の状態を良く知っていた。この家は、もう払えない。支払いを続ければ、子ども達が生きていく事ができない。それならば早くお婆さんに死んでもらうように計らう。男性介護士にすこし強く倒しりするように仕向ける。そしてそれが慢性化して年寄りの虐待に繋がる。ある家で喜ばれたから、また早く死なせよう!と考える。年寄りを死なせて、そして家族を助けてあげている。だからわたしたちケア・マネイジャーに感謝してくれ!お金を子どもにお金を出してあげられる。市民の大切な税金の節約である。多分これは、あり得ます。でもぜんぶの家が貧しいわけでは、ありません。母親がまた元気になってくれる事を望んでいる家族もおります。ボクの想像では、コロナ禍でこんな貧しい家庭が増えていくと思います。年寄りが犠牲になるのは、辛い。ボクの家ももしかしてこんなでは、なかったかと思う。だから介護施設は、現実的には、これから起こり得る事である。介護施設に入る時は、一番高額な介護施設に入ってください。また入れなかったら、なんとか一般の病院に入れてもらってください。藤岡市にも木村外科もある。光病院やくすのき病院もありました。一般の普通の病院は、インターネット上では、あまり食事を少なくしたり。虐待や暴言を聞かない。ほとんど民間の介護施設だけがなにかと問題になっています。母親は、帰ってこない!間違えたで済むには、遅すぎました。ボクは、知らなかった。

 

 

 

 


⑤  介護施設について

 


世の中は、裏と表がある。表しか分からないと失敗してしまいます。裏は、お金儲け。表向きは、社会福祉。福祉福祉と言って年寄りを集めては、ある意味では。悪く言えば。虐待してしまいます。だからボクは大声を上げて、言います。お年寄りは、出来るだけ住み慣れた家に置いておきましょう。お年寄りのお襁褓が汚いから他人の手に任せたりすれば、お年寄りは死んでしまいます。そこを無理矢理に縁を断ち切ることがもう既に虐めなんだ。介護施設には、夢や希望がありません。生まれた家。または、血の繋がった娘さんの家。お年寄りは、孫に囲まれて生きていたいものなのだから。孫の側に置いておく。孫に何も出来なくても。それでもいいんです。何も出来なくても孫に囲まれているだけで希望が湧いてくるです。お婆ちゃんが部屋で寝ているぞ!と孫が覗くだけで年寄りは、嬉しくて仕方がないものなんです。いや。廊下でバタバタ子ども達が騒いでいるだけで、煩いけど嬉しくて仕方がない。父親にそれが分からない。父親は、何にも見えない。父親は、だから小説も読めない。学べない。人と話しもできない。また村人は、本音で話さない。そこも問題だと思う。ボクの住む藤岡市東平井には、村の中ほどに営利目的の介護施設への派出所まで出来ている。宿泊設備等は、村内には無い。それでもそこから街の中の介護施設にじゃんじゃん運び込む役目を担っています。たとえば、高崎市山名町キー〇〇までとか。藤岡市中大塚〇〇の里とか。タウンエースで🚌行ったり来たりしていました。そんな設備をどうして、許るしてしまうのか!とかそんな思い切った話しも神社やお寺や公民館などで区長や農業委員や民生委員等の幹部層は相談するべきである。我が家がある東平井村は、その地域でもっとも裕福な村でもある。TOYOTA自動車と東京電力下久保ダムがある。だからそこを目につけたのだと思う。

 


またボクの父親は、お金だけは、きっちり閉める。まるでスクルージュのようだ。ケチでバカで。一番低価格の介護施設に入れた。介護施設には、ランクがあり。1ヶ月7万円から、1ヶ月15万円ぐらいまで有ります。父親は、ケチだから7万円のところに入れていた。また父親は、長生きだ。いくら説明しても忘れた。俺は、聞こえないという。耳が遠くて分からない。しかしながら知っていたと思う。また父親は、自責の念に囚われない。俺が悪いのでない。介護施設が、悪いという。あそこは、昼間の女性達は、親切だか。夜勤の男性介護士が酷いのだろうとか言って。責任を他人に併せる。

 


⑥  ボクの個人的な話し

 

 

 

 

 

 

因果応報とは、人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。

 


 

 


  ボクの人生は、酷い目にあった。父親は、バカは、自衛隊だ!が口癖。またお前は、バカだから村の農協のガソリンスタンドだという。呆れてものも言えない。ボクが中学生頃。子猫を拾ってきて育てているとこんなもの!!拾ってきてと言いながら。鮎川橋の上から猫を川に捨ててしまった。それ以来。父親は、恐ろしくて仕方が無い。猫を捨てると今度は猫に復讐されることもあります。それが因果応報という。罰が当たるという事。今でもボクの子猫🐱は、父親に隠れてそっと生きている。ボクの仕事は、猫を餌をカインズホームで買ってくる事。トイレの砂は、カワチ薬局で買って交換すること。ついでに近所の猫達。およそ5匹ぐらいに毎朝餌を上げること。だから毎日忙しく仕方がないし。猫の餌代もかかること。庭は、砂だらけになっている。今日は、どこに行くんだ!と父親が言うから、本庄市本庄早稲田カインズホームに猫の餌を買いに行くと言うと。お前は、やはりバカだという。人間の餌よりも猫の餌を買ってくるのは、バカだからと言います。高橋いさちゃんと同じだ。いさちゃんも犬の餌を買ってばかりいて家の中で死んでいた。高橋いさちゃんは、ボクの幼い頃から数10年農繁期だけ家に養蚕の仕事に来ていました。お前も猫の餌を買ってばかりいて高橋いさちゃんのように飢え死にしてしまうぞ!という。

 

 

 

⑦  母親の話し

 


 母親は、頑張り屋でした。糖尿病を50歳の時に発覚した。それからは、野菜🥦🥬ばかり食べた。80歳になり大腸癌が出来た。富岡総合病院で緊急手術になり助かる。そのあとすでに3年間は、生きていました。糖尿病も克服する。大腸癌も克服する。やっと元気そうになったら。やはりトイレで転倒して頭蓋骨骨折してしまう。ヘルメットを付けないでオートバイを運転して路肩に頭を打ちつけたような跡が母親にありました。それから半年間は、頑張ったのに。1月5日の午前1時に亡くなりました。お葬式は、1月9日。でもお葬式を盛大にしても母親が生き返るわけではありません。父親は、お葬式お葬式と騒ぐがボクは、花輪を飾ってもお母ちゃんが生き返ることがないのなら、意味がないという。母親の兄ちゃんが90歳ぐらいでまだ生きている。その兄ちゃんがボクの家の居間で父親に大声を上げていました。「オメーは、何やってんだ!」とそんな事を言っていた。母親は、生きたい!もっともっと生きたい!と言っていたから。母親の気持ちさえ汲めない。大馬鹿なんだ!何も知らない大馬鹿なんだよー。世の中には、裏と表があることも知らない。介護施設の酷い現場の状況を初めて知ったぜ!と直ぐ驚く。ボクは、そんな事を思っていました。

これから。ボクは、どう生きれば良いのかわからない。どこか遠くに行きたくなった。知らない町でコッソリ夜逃げでもしようかと思っています。