愛は花君はその種子

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愛は花君はその種子


やさしさを 押し流す 愛 それは川 
魂を 切り裂く 愛 それはナイフ 
とめどない 渇きが 愛だと いうけれど 
愛は花 生命の花 きみは その種子 
挫けるのを 恐れて 躍らない 
きみのこころ 醒めるのを 恐れて チャンス逃す 
きみの夢 奪われるのが 嫌さに 与えない こころ 
死ぬのを 恐れて 生きることが 出来ない 
長い夜 ただひとり 遠い道 ただひとり 愛なんて 来やしない 
そう おもうときには 思いだしてごらん
 冬 雪に 埋もれていても 種子は春 
おひさまの 愛で 花ひらく

 

 

自由民主党総裁小泉純一郎先生は、
民間が出来る事は、民間に任せると言いました。ということは民間がもしも出来ないのならば、その仕事は国がやるべきだと思う。だからボクは医療介護施設関係は、全て国がやるべきである。と思います!!
介護現場の虐待。暴言。食事を与えない!という声は、無くならない。また少しも改善されていない。
という事は、
民間では介護現場は無理であると言う事です。

 

 

 

 

 

 

 


母親と父親です。2年前。かっぱ寿司藤岡店にて。大腸癌で手術になり。母親は、生還しました。でもこの後がいけない。やはり家と介護施設では、長生き出来ませんでした。多少でも病院で点滴でも打ったりすればよかったかと思った。また日常生活でも苦しんだりした。農家は、やはりお金が無い。その経済的な負担に耐えられなかった。それは、ボクの責任でもある。リストラ・リストラで職を転々としていた。5月15日に介護施設で倒れた時も頭の中は、夜勤勤務をしていてとても母親の事を心配してあげられなかった。たいへん申し訳ないと思っています。お母ちゃんは、強いと思っていた。糖尿病も克服しました。大腸癌も大手術に耐えた。介護施設でも、2年か3年生きられると言われた。でもやはり弱かった。それがわかった事が辛い。生きたい!生きたい!と言っていた。そして手鏡を見ては、もっと綺麗になりたい。あーあと言っていた。スズランデパートにも行きたい!と言った。またボクがカレー🍛が好きだから。東平井のセブンイレブンまでカレー粉を買いに行ったら。帰りに倒れたりした。その時に気がつけば良かった。介護施設から病院に入れて入れば良かった。今も毎日。あーすれば良かった。こーすれば良かったと後悔ばかりしている。真相は闇の中。ふらふらとトイレに行ったのか?それともベッドの上で寝ていたのか?それさえ教えてもらえない。病院ならば、医師や看護師や介護士など大勢居るから教えて貰えるが介護士ひとりだから教えて貰えない。そこが悔やむ。


2019年5月15日から。


最後の日は、母親は実家に帰ってきました。話しを聞くとこの時にもう危なかった。介護施設では、対処出来ない。それなので妹に電話したらしい。妹は、その話を聞いてすぐに介護施設から山名医院へ連れて行った。山名医院でどんな話しがあったかは、知りません。妹はこの時にすぐに判断して医療機関に入院させれば良かった。
でも誰かがまた介護施設に連れて行った。ボクではない。父親なのか。妹なのか?みんな忘れたと言う。みんな母親は、強いと思っていた。だからなんです。ボクは、まるで生き返ったかと思った。でもなんとか元気に見せていただけらしい。
その夜に倒れた。いろんな人からの話しを聞いてみました。なんでそんなに悪いのにまた介護施設に入れてしまったのか。そこが悔やむ。また介護施設も藤岡総合病院とか入院設備があるところを紹介してくれれば良かった。山名医院には、入院設備がなかった。また母親は、口数が少ない。頑張り屋なのでじっと我慢してしまう。痛いよ!ここは、嫌だよ!とか。言ってくれないから。病院へ行きたいとか。何にも言わない!普段から話す事を教えておけば良かった。また最後には、どこの病院へ行くべきか相談しておけば良かった。突然だからこちらも考える余裕さえ与えられない。

 


最後の日。


その日は、暖かくなり始めた5月15日の午後でした。夜勤明けで部屋で寝ていたら、妹の声で起きてみたら、母親がソファーに座っていました。顔は、お化粧していた。元気そうでした。もともと気が強いところもあるから、強い目付きでボクのを見ていた。こんなときは、調子が良い時である。ボクは、お母ちゃん!元気になったね!という。あまりお見舞いにいかない事を詰るかのようなところ。また藤岡の建て売り住宅に居ないで実家で寝ている事に文句を言いだそうでもあった。それが生きて母親に話しかけられた最後の時間になる。話しもほとんどしなかった。ボクは、夕方から夜勤の仕事で出かけました。母親は、ずっと家にいたのかと思う。父親に一生懸命に家にいたいよー。置いといてくれよ!とお願いしていたらしい。そして夜になった。父親には、残酷なところがあった。面倒見るのが嫌になっていたのだろう。軽トラックに母親を乗せて介護施設に、また連れて行ってしまった。その次の日朝。母親は、救急車で藤岡総合病院に搬送されました。驚くわ!こっちは、どうするの?青天の霹靂かと思った。確かに大腸癌と糖尿病の持病があり。それでもまだ当分は、生きていられるくらい回復していました。介護施設の事務員の女性からの話しでは、トイレだかに出かけて倒れたらしい。あとのことは、詳しくは言えないと言われました。またその点について、数日後にまた介護施設に出かけて聞いても。誰がいたとか。どこの場所で倒れたとか。絶対に言えないと言われました。その事故の日の朝ですが、藤岡総合病院では、もう助からないと言われた。頭部が頭蓋骨骨折している。脳に🧠出血があり。意識が戻る事はないだろうと言われました。まさか。昨日は、元気そうなのに。今日は、もう死んでしまうのかと思った。外科医師の話しでは、オートバイ事故と同じぐらいの脳に損傷が出来ている。これほどの怪我を介護施設で起きるとは、とても思えないと言われました。その時にふと。テレビで介護施設の虐待や暴言やお年寄りをベッドに放り投げる隠しカメラの存在などが浮かんできました。もしかして介護士に殴られたのかもしれないと思った。でももしかしてという事もあるから。半年間ずっと我慢していました。回復してくれる事を毎日願っていた。急に目が覚めたりするかもしれない。でも12月になると日に日に衰えていった。12月末には、呼吸困難になる。目の白いところが黄色くなってきた。篠塚病院では、もう危ないから来てくれ!というから1月1日から篠塚病院に行っていた。苦しそうな顔を見ていられない。このときは、早く楽にしてもらいたいと思った。夜中にまた電話があり。クルマで出かけた。もう息をしていませんでした。1月5日の午前1時30分に亡くなりました。直ぐにJAアシストホールに、連絡した。1月9日に告別式も終わった。母親がこの世にいない。それは。悲しく悲しくて。ポッカリとこころに穴が空いたかのような気持ちになりました。この先どうしよう。ボクがもう生きられない。父親は、富岡総合病院に連れて行けば良かったと悔やんでいました。病院に行っていれば、あと5年間は生きられたと思います。まさか介護施設がこんなにあてにならないとは、思っても見なかった。ケア・マネイジャーは、「年寄りは、いつかは死ぬの!」と言わられた。また頭にきた。「いつか死ぬから、年寄りは早く死んでも良いのか?」とボクは言い返した。また父親も悪い。よく母親の願いを聞くことも、大切なんだよー。父親は、大馬鹿でした。ケア・マネイジャーは、いつのまにか他人の家の懐まで入ってくる事に、反吐や不快感がありました。ボクの家は、甘くないよ!そんなに簡単にお金は、取れないよ!もっと簡単にお金が取れる農家があるからそっちに行った方が良いよ!と思った。まさかここまで介護施設関係者の外部への営業マンは、悪質で〇〇師まがいだと思った。ときどき。藤岡市役所の福祉課の男性職員まで一緒に来たりして。我々の行為は、市役所の正当行為であるような態度まで使った。また介護施設は、お年寄りからお金を、巻き上げる〇〇会社であると思った。これは、こころの中で思った。「ボクの家の母親は、死んだんだ!よくまぁ!死んだばかりの家に来られると思った。」介護施設を紹介したりしてくれたりしても、お金を巻き上げても。良いと思った。母親が元気ならばまだ良い。死んだらおしまいだろう。介護の借金は、後で返せば良いし。ケア・マネイジャーが来てから、一年足らずで母親は、死んだんだ!また今度は、父親も介護施設に連れていきたいらしい。頭に来ていたので。「あんた達は、お金が目的であろう!」とまたこころの中で言った。「ケア・マネイジャーは、お年寄りを見るとお金に見えるだろう!」とその考えには、我ながらよく出来たと思った。その前の日にも近所で告別式がありました。名前は、高山さん。やはりボクの家と同じ。東平井工業団地で多額のお金が入った。ケア・マネイジャーが来た。お年寄りを介護施設に入れた。そしてすぐに亡くなる。介護施設は、別の会社でした。でもパターンは同じでした。家に置いて置けば、もう1年は、生きられたかもしれない。前ですが、太陽光パネル発電の営業マンがボクの家に来ました。その時営業マンは、「俺は、農家を見るとカネに見える!」と言っていたから。同じ穴のムジナだ!と思った。父親は、いつのまにか全てを、コントロールされていた。ケア・マネイジャーは、血の通ってない他人である。その他人にお金は、取られるわ!母親を死なせるわ!ボクも同じように騙されそうになっていた。でもよく考えたら。この手は、日本生命のセールス・レディ達と同じであることに気がついたから。まるでボクの家からお金をじゃんじゃん取りにきたかのような気がした。これならば。藤岡の実家でお婆さんとお爺さんの三人見てもらえば良かった。

その日。東平井に母親が帰ってきた。その5月ですが。ボクは、なんとか助言も、出来ただろうに。悔やんで仕方がない。まずは、富岡総合病院へ連れて行く。または、藤岡のボクの実家に連れて行く。また母親の長女でボクの妹の群馬町に連れて行く。どの選択肢もありました。最悪の選択肢がいえるのに。藤岡の介護施設でした。
これも、ケア・マネイジャーのしわざだと思っています。母親が生きていれば。お金がかかっても、ありがとうと言えた。でも死んだら、終わりだと思った。もうボクの家に来ないでくれ!と言いながら。母親の告別式には、謹んで哀悼の意を評します!とかJAのアシストホールに弔電の電報まで来ていた。よくもまぁ。彼女達の言動は、日本生命🇯🇵のセールスレディの言葉巧みな仕事ぶりを垣間見たと思った。いつから。誰に教わって。またボクの家にお金があるのも知っていた。畜生!と思った。問題点は、群馬県藤岡市東平井の村の真ん中に介護施設の社員の待機所を設置された。このときから。TOYOTAのタウンエースが村の中を朝早く走り。また得体の知らない上下ジャージ姿の若手から中年のグループが暗躍してから起きている事だ。最初は、変なものができたなあと思っていたぐらい。ボクは、撤去させるか。またお寺の和尚を通じて介護支援〇〇に会わないように注意喚起してもらおうか思案している。お金だけでないから。命も危ないから。絶対に病院へ行く事。病院を見つけおく事。〇〇病院。病院と名前が付いていれば。まぁ大丈夫かなと思っている。その理由は、マイナス・イオン効果だと思う。介護施設には、マイナス・イオンが発生して無い。しかしながら地方自治体の病院には、マイナス・イオンが発生している。なんの事だかさっぱりわからない人が多いかもしれないがこの違いは、でもかなり大きい。高崎国立病院に行くとその建物の全てが最新式の設備である。建築費に1000億円はかけている。ソファーに座っているだけで病気が直るような気がする。でも民間の介護施設は、玄関に入ると暗い汚い嫌な匂いがして気持ちが悪くなる。建築費は、だいたい1億円。この違いは、大したこと無いと思う人もいるだろうが。ボクはこの違いこそ。全てに置いて大きいと思う。建物なんだ!白いリノリウムの床や温度管理。空調から湿度から。あらゆる面で優れている。
病院に来ると助かった!と思える。しかしながら介護施設にくると。あーもうお終いだと思う。助かったと思えるならば助かる!

 


インターネット上では、
夜勤介護士による介護施設の内の虐待が
山のように書かれている。
絶対に介護施設は、
入っては、行けない。
介護施設への入所は、保険適用外だから。
という事は、すべて全額自己負担になる。
デイサービスまでは、ドンドン利用しましょう。
それは保険適用範囲内だから。
という事は市役所が費用の半分以上負担してくれます。
医療現場の料金体系は、どんな風になっているかは、未定。
また
現在ではコロナ禍なので
お年寄りは
自宅待機が一番良い。
たとえば群馬県藤岡市には、
藤岡総合病院。篠塚病院。くすのき病院。ひかり病院。
があります。
この4つの病院は、不当請求はしません。
また虐待も暴言も食事を与えない。
そんなことはあり得ません。
もしそんなことをしたら大変なことになるだろう。
出来たら家族が医療難民になる前に
最後の時は、ここにするという病院を決めておくこと。
どこでも良いと思う。
普通の入院設備がある病院です。
それだけを言いたいために
こんなに書きました。