母親の思い出

 

 


現在では。
市光工業藤岡第二工場では、TOYOTAヤリスのヘッドライトを作っているそうです。その人は、八高線で合う。その従業員に聞くとコロナ禍で休みの日が多くてとぼやいていました。派遣社員だから残業が無いと給与が安くなって食べていけない。でもアパートは、派遣会社が手配してくれて無料だから。また
コロナの影響で仕事が減り、叶わないと言う。
立ち話の世間話です。
40歳あまりで独身らしい。頭が薄くなっていた。お風呂にも入って無さそう。リュックサツクを背負って
派遣社員として自動車工場を渡り歩いているようでした。でもTOYOTA系列だから、ましな方だとボクは言って起きました。クルマは、何を作ってますか?と質問してみました。TOYOTAヤリスだよー。と言う。
皆さん。TOYOTAヤリスに乗ってください❣️お願いします🤲。TOYOTAのクルマが売れないと群馬県藤岡市民が困りますから。
値段も安いよ。だいたい税金込み込みで標準装備ならばならば、160万円ぐらい買えますよ!スズキソリオよりもTOYOTAヤリスを買いましょう。スズキソリオは、カッコいいけど。

 

 

 

 

 


母親は、慶一には良くしてくれました。お弁当を毎日作ってくれました。まだ中学校も高校もお弁当持って行った。毎朝。母親は、5時に起きてご飯を炊いて。ほとんど毎日毎日。鮭の切り身とハンバーグを入れてくれた。学校に持って行くと飯塚が新井は、毎日毎日おかずがいっぱいで羨ましいとか言った。飯塚は、鬼石町三波川から来ていた。ボクもたまに飯塚のお弁当を除くとご飯ばっかりなのを覚えている。席がすぐ前なのでよく話したがあまり仲良く無かった。飯塚は、不良グループの山田と大沢と付き合っていた。学校までは、4キロありました。お弁当を持って教科書も持って自転車で走った。母親は、毎日毎日おかずを買いに出かけた。あの当時は、スーパートーエーが最盛期。母親は、クルマに乗れないから自転車か原付バイクだったと思う。母親は、食べることに夢中になっていた。それでいて。後年に糖尿病を患う。あれだけ健康第一を徹底していたから、母親の落胆ぶりは激しかった。やはり遺伝もある。また母親が白米好きなのもある。また蜜柑好きなのもある。あの頃。今も貧乏ですがもっと貧乏でした。母親は、苦労しました。父親が
大の勤め嫌い。他人と同じ飯が食えない。そこが最大の欠点である。だから母親は、パートで働きに行ってました。家に帰ってくると。楽しいよ。忙しくって!
食券を買って。お昼は、80円のかけうどんだけとか。もったいから一番安いのを買って食べるの!と言う。そういうときは、日替わり定食でも食べれば良いものをと思った。その頃は、質素でした。それでいてボクや弟のお弁当は、おかずをいっぱい入れてくれた。
自動車工場で働いた。まだTOYOTANISSANもライバル同士の頃。何か電子部品を組み立てる仕事らしかった。後ろにタイムウォッチ⌚️を持っている男性社員が
仕事振りを時間で測っているだよ!だからお母ちゃんは、さっささっさと手を動かして働いた。みんなよりもイクヨさんは、早いね!と言われて嬉しそうでした。母親は、明るく元気がよくて。いつもみんなを笑わせていました。女性の関西漫才師にも似てます。いくよくるよ。太った方に似てます。あれ!お母ちゃんがテレビに出てるぞ!と思った。名前も同じでした。母親は、イクヨ。漫才師は、いくよ。母親は、30歳過ぎから40歳ぐらいまで働いていました。友達も出来たとか言っていた。同じ村からも大勢働きに行っていました。だからお母ちゃんは、人気モノでもあった。それから農業もよくやりました。田んぼと畑と養蚕。桑切りもよくやった。児玉町の八丁八反まで桑切りに行った。よく我慢して働いた。たぶんあの当時では、村一番の働き物でした。友達は、小林セツさん。イクヨさんが癌で入院しただね!どうした!アイスクリーム一個持って来たよ!と言ってボクの家に来ました。
その小林セツも90歳になるがあまり最近出て来なくなった。母親は、パート社員を40歳過ぎに辞めます。話しを聞くと会社が使ってくれなくなったとか。その当時も厳しくて手早でなくなると使ってくれない。ガッカリしてました。そのあとは、ほうれん草を作ったり
イチゴを作ったりしましたが長続きしませんでした。
農業は、あたりハズレが多かった。でももう母親は、外に働きに出ることは無かった。父親が二トン車🛻のトラックを買って植木屋を始めた。でもお金にならない。損ばかりしていました。その頃は、慶一は農協に入る。少しは、家計の足しになる。しかしながら慶一はかなり出来が悪い。ほとんど給与は、本とCD💿を買って貰った給与は、みんな使ってしまった。初めは、藤岡市ユニーの本屋ばかり午前中から午後まで本屋さんで読書していました。その内に飽きて来た。高崎市学陽書房に行く。そんなに難しい本は、読まない。
森村誠一先生と椎名誠先生の本を読む。たまには、マニアックな植草甚一作品を全部揃えたりした。しかしながらモダンJAZZは、理解不能でした。マイルス・デイビスの名作クッキンとか名作リラクシンを買っても分からない。トランペットの音が掠れて出ない。変な音だと思った。返ってドラムのフィリー・ジョン・ジョーンズとかサックスのジョン・コルトレーンの方がうまいと思った。なんで農協に入ったからは、不明ですが。仕事が有れば良いかぐらいでした。後年になるとこれが大失敗であることがわかる。