母親を亡くしてしまった!!

母親のために書きます!母親に親孝行出来なかったので書きます!ボクもそのうちにお母ちゃんのところに行くから。ボクの生命もそんなに長くはないだろう。
気力が無くなってきたし。何をしてもつまらないし。
もうすることは、ほとんどしてみたし。やることもないし。でも娘が二人いるから。なんとなく生きているだけ。


柳美里さんの言葉。


頑張るのは、もう疲れた!
もうリタイヤしよう!
人生をやめようかなぁ?
そんな感じかなぁ。


  

 

 

 

 


新井イクヨは、温泉♨️が好きでした。80歳になっても出かけた。遊びに出かける時は、🍙お握りを作った。ウィンナーを焼いたりした。外で食べるとお金がかかるから。いつも元気で怒ってばかりいました。早く働いてこいとか。みかんが無い。台所で大騒ぎしていた。口癖は、お母ちゃんがいなくなればみんな困るだろう。と言った。その通りになりました。

母親が亡くなってからひと月あまり経つ。身体の中に隙間風が吹いているかのような寂しさを感じた。もう慶一は、生きているのが詰まらなくなった。早く死にたい!早くもう生きるのが無駄だ!!なんで!なんで!という後悔ばかり先だつ。また悪い事をした!という自責の念もある。また誰も考えない。また責任の所在さえ明らかにならない。だからこんな結果になったのだ。その時貧乏なのもある。誰もが働かなければならないから。唯一父親は、もう判断力停止していた。また難しいと思った。誰もが介護施設にお金を払っているのだから、それなりにしてくれると思った。しかしながら結果は、介護施設は、マイナスになるだけでプラスにはならない事がわかった。父親が特に悪い。半年間ものあいだ。一度も介護施設にお見舞いに行かない。その間。家にずっといた。仕事は、バックホーンで石🪨コロ遊び。なんでなんか。やはり介護施設から派遣されたケア・マネージャーが親切で優しいから。母親も同じようにされていると錯覚してしまった。しかしながら彼等は、入所者には、冷たい対応しかしない。彼等は、お金が目的だから。お金の出どころだけ親切にしていた。母親にお金を持たせて無いからだと思う。恐ろしい社会だ。こちらが注意していないと足元を掬われる世の中になる。なんでこれほど病院のベッド数が少ないのかと思う。またなんで病院を探すことを怠ったのか?確かに藤岡総合病院は、駄目でした。でも病院は探せばあるだろうに。一番最悪の場所を選んでしまった。その時。慶一は、その場にいたのに。慶一も考えるべきでした。60歳あまりで年金を貰い始めたばかり。また母親は、何も言わない。クルマも乗れない。スマホやガラ携帯も持たない。自己主張出来ない。ここは、嫌だよとか。早く家に帰りたいよ!とか言ってくれ!わからないだろう。また介護施設もお金になるから出さない。むざむざと死ぬのを待っていたということか。父親も悪い。一冬の間。石🪨コロ遊びをしていた。なんであんなことばかりやっているのか分からない。お母ちゃんのことは、忘れていた。というばかり。そんなバカな。なんという人間だ!!60年も一緒にいて。相手と話しもできない。出来るだけのことをすべきだろう!!それには、理由がある。ケアマネージャーが好きなようにやる。いかにも大切にしているかのように連絡にくる。あんなケアマネージャーを信用し過ぎた。だから家族みんな無責任になった。ケアマネージャーも少しは、考えてください。いくらノルマがあるからと言ってもまたお客様なのだから。最善を尽くすことを教えて貰いたい。ほんとうのことを話してもらいたい。亡くなった時も呆れた話しをしていた。

  ケアマネージャーの言葉!「 病院に入れてお金をかけていたら、そのお金で子ども達にお金が行かなくなるだろう。だからお年寄りは、介護施設で早く亡くなって貰った方が地域全体の為なんだと言われました。」アーそうか!それがケアマネージャーの心の内側だと思いました。所詮他人家の事か!だからあれほど無責任になれるのだろう!それならば最初から親切に対応などしないでくれ!最初にお年寄りを病院に入院させらつもりが無かったのだ!ケアマネージャーを家に入れてはいけない。冷た過ぎる。これからもボクの家にからようならば、介護施設も絶対に実名を出してやるつもりだ!でも流石に母親の葬式の後からは、あまり来なくなった。ひとりの人間が死んだのだから。来られないだらう!ケアマネージャーが母親を殺したと思っている。何故か。その人が来てから母親は、死んだのだから。慶一も悪いと思った。その頃は、コンビニ工場で働いていた。コンビニ工場は、きつい。給与は、安い。またパート社員なので待遇も悪い。大手コンビニチェーン出した。仕事が終わると疲れた。でもむかしからのくせにで夜遊びばかりしてしまった。母親の事は、頭の中から消えていた。また休日は、喫茶店周りをしていた。スマホとノート型パソコンを持ってお洒落なカフェで遊んでいた。その頃は、ヘンリー・ミラーの自伝的な小説。ニューヨーク編を読んでいた。この時に母親の介護施設にも顔を出して居れば良かった。母親は、この時辛かっただろう。父親は毎日毎日石🪨コロ遊び。長男は、喫茶店遊び。妹も仕事で来られない。だからお母ちゃんは、死んだのだ。ケアマネージャーばかり悪く言う訳には、行かない。やはり問題点は、市民病院が少ない。公立総合病院が少ない。もっともっと病院にチカラを入れて貰いたい。誰でもボクのブログを読んだ政治家の方々は、何が何でも市民病院を建設してください。ボクは、病院を見るたびに大型病院を作らなければいけないと思う。これからもっと高齢化社会が来ます。コロナ禍も100パーセントの終息がないかもしれません。そのためにも市民病院を作ってください。お願いします。母親の介護施設の死を無駄にしないためにも。よろしくお願いします🤲🥺。

病院に母親を連れて行ったのは。もう二年前の10月。これが最後のチャンスでした。この時。藤岡総合病院は、一週間だけ入院しました。しかしながら藤岡総合病院には、入院棟がありません。一時的な入院施設だけなんです。出来るだけ早く。すぐそばに病院の入院棟を建設してください!この時は、母親は、肺炎になる。母親は、強かった。風邪からの肺炎をすぐに治してしまった。母親は、また強いと勘違いしてしまった。これが最後のチャンスでした。ボクは母親の実家の母親の兄貴に悪い事したと思った。この時に富岡総合病院に何が何で連れていけたら。もっと生きられたと思った。母親にも申し訳ない無い。ボクがあまりにも無知でした。指示が出来ないような雰囲気でした。辛い思いを母親にさせてしまった。介護施設は、あまりにも悪過ぎた。あれでは。地獄だった。最後の一年を母親を地獄に連れて行ってしまった。

 


 兄弟も3人いてもなんらかの案も出ない。みんなお金お金という。お正月に来ても母親の面会さえしない。工業団地のお金をよこせ!金よこせ!でも母親の生命よりもお金お金という。それが一番嫌だ。なんでお金なんだ。それよりもお母ちゃんの病院を探すことだろう!なんで誰も気がつかない。誰も面会さえ行かない。父親も特に悪過ぎ。一度も行かなかったという。呆れて!呆れて!また介護施設も内容が悪い。アーあ。こんなものを誰が作ろうとしたのか?介護施設ぐらい非人間的なものは無い。それが悔しい。誰が作ろうとしたのか?こんなものを作ってお年寄りが可哀想過ぎる。お年寄りを捨てる場所になって居る。

 

 

ボクは、母親に親孝行が出来なかった。ボクを産んだ母親に何もしてやれなかった。母親には、最後の時から数年前に万座温泉♨️に連れて行った。紅葉が綺麗でした。それが最後の親孝行になった。思い出すのは、帰りにスーパーベイシアで買い物をしました。あれは、

室田だと思う。草津街道沿いにある。いっぱい買って帰りました。その後もスーパーベイシア吉井店にも行った。その時。お母ちゃんは、歩くのが遅いなぁ!いくら駐車場の道路でも危なかった。その時から足が弱っていたのだろう。その前の親孝行といえばもう無いけど。ボクの娘二人と父親と母親と全部で5人で藤岡市かっぱ寿司に行った思い出が最後になりました。

母親は、おとなしそうに黙って食べていました。お母ちゃんは、鉄火巻きが好きでした。いつもかっぱ寿司に行くとお母ちゃんは、鉄火巻きだけだよ。と言って食べていた。その前の前は、ファミリー・レストランココスでお昼のランチを食べに行きました。嬉しそうでした。母親は、家族揃って居るだけで楽しそうにしてました。ボクがスマホから写真を撮ろうとすると嫌がりました。もう歳だから。映さないでと言った。

母親は、ももちゃん!ももちゃん!と言ってました。ボクの一番下の娘です。お母ちゃんは、ももちゃんが一番好きだよと言っていました。またお母ちゃんは、りなちゃんが結婚するまで、おばあちゃんは生きているからね!と言っていました。りなも篠塚病院に来てくれました。おばあちゃんの顔を撫でていました。