猫のように生きる!

 

曹洞宗
板橋興宗


代表作。
猫のように生きる。


仏教の悟りとは、
猫のように生きる事である。
板橋興宗

 


亡き王女のためのパヴァーヌを聴きながら。

 

 


お母ちゃんは、市光工業東平井工場で働いていた。もうひとつ。藤岡市藤岡の光電機。30代から40代まで。よく働きました。村の中でも働きものでした。確か10年間ぐらいだろう。毎朝自転車で工場まで走っていった。毎月10万円は貰えました。家は、貧乏でした。父親が働かない。それなので母親が働いた。制服は、上着は水色でズボンは忘れました。家の物干し竿にかかっていた。お母ちゃんの口癖は、「お金が貰えるのは、嬉しい。」その頃が我が家で一番景気が良かった。また一番貧乏でした。毎日。食堂でかけうどんだけ食べていたとか。値段が80円でした。何かほかに食べれば良いと思うが。母親は、何故かいつも節約していた。あー。今思えば。ご飯やうどんばかり食べていたから糖尿病になったのだろう。貧乏性が悪い方に行った。その時は、わからない。母親は、自分の食べるものを節約してまで家族のために働いていました。母親も嬉しそうに働いた。友達も出来たよ。上宿の入さんとか。あとは、もう忘れましたが。村の中でも元気の良い女性は、働きに行きました。何人も女友達で出来て話しをしたりすることがまた楽しげでした。
友達好き。カラオケ好きでした。また料理好き。白石のスーパートーエーが開店していた。たまにはスーパータカハシにも行く。母親が山のようにおかずを買ってきた。
まだ市光工業がスタートしたばかりの頃です。周りは、米麦養蚕農家ばかり。市光工業東平井工場は、1970年頃だから。まだTOYOTAでは無く。NISSANだけだった。また工場というものが周りに無かったから。最初は、まるで刑務所かと思った。噂では、後ろに監督が立って作業効率を見ていたとか。作業が遅いとすぐに使って貰えないとか。でかい建物が田んぼや畑の真ん中に出来てきてきた。母親は、その中でいつも一番早いとか。また正社員に褒められたよ。と家で自慢した。働きにくる人達は、万場町などの山の方の人達が多かった。農繁期は、米と麦と養蚕をしました。4月から11月まで農業をしていました。だいたい11月から4月までの期間工でした。私は、勤めは、いいよ!お金になるから。農業は、嫌だ。お金にならない。母親が稼いで来てくれたお金で冬場は、生活してました。ボクはまだ中学生か高校生だった。親戚の人にその話しをすると。「エライねぇ!なかなか出来ないよ。」「 女性が工場に働きに行くだけでもたいへんだ。」ボクもそう思います。隣り近所でもそんなタフな女性は、いない。生まれてから一生のあいだ家から外に出て来ない女性も多いし。それなのに子供も3人も育て。その間も米麦養蚕の農業をして働き。尚且つ工場に出ていたことを驚いていました。
また父親は、お金儲けには縁が無かった。また外に働きにもいけなかった。家の中で威張っているだけ。外に出ると萎縮していました。村の中でも話しは、出来ない。相手との会話が苦手でした。だから何にも得られない。話し嫌い友達嫌い。これは致命的な欠点でした。世間話から農業を理解したりまた地域全体で農業を進めていかなければならないのにその仲間に加わわれない。孤軍奮闘作戦ばかりしていた。たったひとりで農業したりその後は、造園学も手にする。しかしながらいつ嫌になって辞めるか時間の問題だとみんなが思っていた。またどこか暇潰し的なところもあり。造園業は、父親の性格によく合いました。木が好きだ、と言う田村隆一さんの詩を感じていたのか。だから母親が85歳になるのに毎日毎日。一日中。木を見ていたのだろう。木のそばにばかりくっついていた。可哀想な事をしました。80歳前後は、母親は、働けないで炬燵から出られないで寝てばかりいました。父親がひとりで田畑に出た。それが疲れて嫌になったのだろう。母親を介護施設に入れた。そしてすぐに亡くなった。もう母親のことを忘れたと言う。残酷だろう!母親が60年以上も外に出て働いてきたのに!それは、やってはいけない事だ!炬燵で寝てばかりいたから介護施設に入れるなんて。人間として失格だと思った。父親は、何にもわからない。もちろん文学もわからない。学問も身に付かない。何故かというと。学問は、猫だから。学問とは。猫を大切にすることなんだ。猫が神様だよ!とボクが教える。俺ん家の慶一は、馬鹿になった。慶一!精神病院に行った方が良いなど言う始末。か弱い生き物の大切することが学問なんだ!生き物を飼うのは、遊びだけでは無い。ボクは、祈りだと思う!父親は、祈りなんかしない!坊さんは、金儲けだけだと言う。しかしボクはそれでも神様はいる。お寺には、神様が居ない。神様は、自分の家の猫だから。それさえわからない。曹洞宗板橋興宗先生が著作に書いていた。

 

 


田村隆一さんの有名な詩。木。