富士浅間神社 緑賓館にて 

 


富士浅間神社 緑賓館にて 

 


当時は、豪華な結婚式会場でした。

 

 

 

 


36歳になっていた。それまでも誰ともお付き合いもしてこなかった。職場の家族で、みんなが集まる食事会がありました。あちらこちらには、幸せそうな家族が子どもたちを連れて集まっていた。普段とは、また違った服装で立食パーティーのテーブルの廻りにいた。料理は、豪華でした。ステーキからお刺身までありとあらゆるおいしいものが並んでいた。まるで結婚式かのようでした。モーツァルトのピアノ協奏曲が掛かる。さすが豪華な結婚式会場は、ハイレベルな曲だと思った。Kは、クラシック音楽は、やはりモーツァルトが、特にいいなと思った。クラリネットやフルートが交互に鳴り響き、ピアノが後から付いて行く。それから第一バイオリンが盛り上げた。子供たちは、それでも遠慮がちかな。やはり職場の幹部がいましたから。話し声がはしゃいでいた。普段なら、怖いキタノさんもこの日だけは、嬉しげで大笑いしていた。慶一‼️来たな!!とか言って。馬鹿は、相手に出来ない!Kよりも歳下の同僚のSも結婚していた。二人の子どもを連れて歩いていた。独身時代には、仕事が終わると漫画文庫でスパゲティーを食べたりしていた。その男性が結婚した女性は、明るかった。顔は、いまいち。でもどこか。ひかり輝いていた。顔ではなく。その女性のココロが顔から滲み出していた。仲の良い歳したの同僚のSが。嫌な質問をしてきた。それもそんな場所で言われたら返事に困るような質問でした。「 新井さん。休みの日は、なにしてるですか?」Kは、ほんとうの事をいった。「 何もしてないよ!朝起きて、再放送のタモリの笑ってもいいとも増刊号をテレビで見たり。そのあとは、なんとなく。いつの間にか夕方になっていて。父親と母親からこれからどうするつもりなのかと言われたり。でもKは、困った顔をしたりして。そして夜になるだけさ。夜は、漫才師のいくよくるよ。とか。やすきよ見て。大笑いしているよ。」と言った。ほんとは、テレビ朝日の夜の番組も毎日見ていた。Kは、テニス倶楽部にも行かなくなっていた。またクルマで当てもなく走っては、家に帰っていた。もう本やCDを買って部屋でひとりで遊ぶ事も無かった。10代から20代までは、家に閉じこもつていた。狭い部屋には、新刊本の本が溢れていた。半分以上は、読んでなかった。それが30代半ばには、趣味もなくなり。感動する事もなくなった。ひとりになる事だけ、頭の中にあった。せっかくの食事会なのに、早くこの場から去り。帰りに藤岡のイトーヨーカドーの本屋とレコード屋さんで立読みしようと。新刊本でも見ているほうがいいやと。まったく関係の無い事を考えていた。Kは、楽しむ事が出来なかった。いつも別の方向を向いて生きていた。これが悪い癖でした。また誰からも相手にされないところだと思った。当時は、恐ろしいほどの孤独感を感じていた。前に進むも後もどりも出来無かった。多分ひとりぼっちで浮いていたのも全員に分かるぐらいでした。その立食パーティー会場には、同僚のSの奥さんが子供を抱いて座っていた。実家が美九里の本郷でした。Kの母親と同じ村。正直言って顔が不細工なところがKの母親と似ていた。Kは、その女性が独身時代には、関心が無かったが結婚してからは、良い子だなぁと思った。その日の立食パーティー会場にも独身女性がいっぱいいた。しかしながら36歳にもなると。誰も相手には、されない。誰もKには興味が無さそうでした。Kは、嫌々ながら参加していたので、すぐに帰った。その日は、この後。どこに行ったのか?忘れました。ただ明日は、また美九里村のガソリンスタンドで働かなせればならないなぁと嘆息した事だけ覚えています。牧野さんとか塩出さんとか野辺さんとか。あーいやだと思った事だけは、鮮明に覚えている。そして。もうボクには、楽しいことは、起こらないだろうと思った。ボクは、人並みに生きられない人間だと思った。結婚もない。幸せもない。と思った。あまりにも食事会から浮いていたのが、自分でも分かった。その会場からの帰りがけに中山さんに出会う。小学校からの同じクラスの同級生と結婚したとか聞いていた。もちろんのこと。話しは、しない。でもKは、避けて通った。中山さんは、気が強くて敵わないと思っていたから、そばに寄らずに帰った。話しもしない。何しろボクのJAの生命保険の成績が悪い事をよく知っているようでした。

 


その後。およそ25年ぐらい経ってからですが。ある日。Kは、またリストラされてしまった。悪い行いは、運も悪い。毎日のようにハローワーク高崎に通った。仕事は、あまり無かった。警備員とか。軽トラックの宅配とか。伊香保温泉の料理の片付けと部屋の掃除とか。スーパーマーケットの店員とか。その場所でその日。顔見知りの女性と会いました。驚くよりも悪い事をしてしまったと自責の念に囚われた。ハローワーク掲示版の前で佇んでいた。25年前。一緒にスキーに行った事がある女性でした。Kは、その時すでに55歳にはなっていた。その女性は、50歳ぐらいにはなっている筈である。その女性は、同僚のSが付き合っていて。数ヶ月後には、別れた女性でした。ボクは何回か話しをしたかもしれませんが。二人だけのデート❤️は、してない。良い子でした。さっさとJAたのふじを辞めていた。確か1年間とか2年間ぐらいしかJAに在籍して無かったのではないか?学校の先生になるからと辞めた。あの女の子は、今から思うと良い子だったと思った。そして。まさか独身かもしれないと思った。第一に服装とか雰囲気に独身的な感じがした。目が合うが。やばいと思った。その時ボクは話もせずにまるで怖いものに会ったかのようにまた逃げて帰った。あの女性とボクは、どこからに接点がある事もあったと思ったから。それにしてもボクは、悪い人間だと思った。また不義理な人間だと思った。何故リストラばかりなのか。やはりそこには、ボク自身の問題が山のようにあった。独身の女性たちに悪いことをしていたと思った。だからJAをクビになるのだと思った。そうなってしまったことは、すべて自分の行いなのだと思った。しかしながら。今でも。その女性が知り合いの女性なのか?正直言って。分からない。目の錯覚かもしれない。デートでも一度でもしていたら、また違った人生があったかもしれない。