新井慶一の平井小学校時代

慶一は家ではテレビばかり見て.夜遅くまで起きていた。教科書は開いたことがなかった。明日学校にもっていく教科書を忘れないでカバンに入れること。それしか頭にありませんでした。どうしてかというとかならず間違えたり忘れたりした。そのたびに担任の先生に怒られた!!その記憶は今でも夢に見る。また間違えたとかまた教科書を忘れた!!その時の担任の先生の怒り方はすごかった。「 新井けいいちさん!! 何回言っても忘れるのならば。家に取りに行かせるからね!」慶一は「 そうか?今日は火曜日か?」また間違えた。それに鉛筆入りも忘れたりした。毎日が面倒だ!!と思った。また1週間の予定表を無くしたりした。入れ間違えたことがしばしばあった。だって教科書を忘れて隣りの女の子といっしょに勉強することが耐えられない苦痛でしたから。先生の話しは聞いてない。眠く眠くて。頭の中にはジュリアーノ・ジェンマがいた。学校でもうわの空。家に帰ると。5時間ぐらいテレビを見ていた。夜の9時から淀川長治さんのロードショーを見て。夜中の12時過ぎにはまた映画を見た。ベンハーとか。古代ギリシャのスペクタル映画を夢中になる。西部劇は絶対に全部見た。ジョン・ウェインの映画からジュリアーノ・ジェンマまで。その他は焼津の半次だとか。だから高校2年生の時に高崎のオリオン座でクリントンイーストウッド主演のダーティ・ハリー2は退屈した。西部劇の荒野の用心棒のクリントンイーストウッドが見たくなった。

 

だからアメリカ映画からなんでも手当たり次第見た。だから慶一の小学校時代はテレビ映画が全てでした。そのテレビは廃品回収で拾ってきたもの。だからそんなだから通知表はひどかった。2と3しか無い。父親は。怒っていた。母親は気にしてなかった。我が家は頭が良いと言われる家系でした。クラスで一番は当たり前でした。それが真ん中よりも下だから。父親は慶一に勉強をするように毎日言った。漢字の書き取りのノートを買ってきた。それでも慶一はやる気がなくて。なんだかまったく関係ないことを考えていた。それは。生きているのは。シンドイだけだ!それを繰り返し。頭の中で思っていた。幼馴染は。久米とか八木とか齋藤とか。全員頭が良かった。久米は慶応義塾大学。八木は上智大学。齋藤は東北大学に入学してました。みんな小学生の時も彼らは頭脳明晰。そんな中でも母親は何にも言わなかった。健康でさえいれば良い!!それが母親の考えでした。しかしながら父親は黙っていなかった。慶一の通知表さえも屈辱感でいっぱいにした。ことある事に!!どうしてこんなバカな子どもが生まれたのか?と言った。年に一回。授業参観日がありました。何故か?頭の良い。久米や八木や齋藤の家の両親は来なかった。だって頭が良くてクラスでオール5だから。わざわざ学校に来る必要がなかった。それに対して慶一の父親は頭が悪いし。どうしても息子を頭を良くしたいからかならず授業参観日には来てました。その中でスーパースターの同級生は久米でした。運動能力はクラスで一番。勉強も1番。久米は服装もなんとなく綺麗でした。久米は代々。東平井の秋葉神社の神主の子どもでした。久米の父親はお祭りの日には。上下の紋付袴を着て。お寺の境内奥深いところに座った。いかにもインテリア風な威厳な雰囲気を醸し出していた。

 


八木は勉強はよく出来たけれども。スポーツは苦手だから。八木は引っ込みじあんで教室でもいるのか?いないのか?わからなかった。八木の家は農家でした。八木の父親は村の代表を勤めていた。農地の基盤整備事業の委員長を務めたりして名門でした。齋藤も農家でした。勉強は出来たがスポーツはまったくのゼロだから。それに劣等生の鮎川の長谷川とかおとなしい野口とか劣等生の西平井の平野と話してばかりで同じ村よりも隣り村の幼馴染ばかりと話していたから。なんで齋藤はあんな付き合い方をするのか?そのせいかそんなには齋藤には嫉妬はしなかった。しかしながら久米には嫉妬した。どうして頭が良くてスポーツ万能なのだろうか?それに担任の先生からも良く思われるし。みんなからも好かれていた。また。勉強家とは思えない雰囲気でした。いつ勉強しているのだろう?とクラスメイトは不思議に思っていた。久米くんは頭が良いねぇ!!それに放課後もスポーツしているし。夜遅くまで勉強しているような話しは聞こえてこなかった。まわりは不思議だねと話していた。

 


そこにいくと慶一は頭は悪いし。スポーツも出来ない。頭の中は空っぽ。考えていたことは。生きているのが嫌で嫌で仕方がなかった。慶一は小児喘息でした。だから母親は心配していただろう。母親は慶一の病気のことしか頭の中になかった。家は農家。貧乏でした。母親はパートに出た。家の裏にはTOYOTA自動車工場が出来た。今のように。世界のTOYOTAではなく。外から見ると刑務所のような雰囲気でした。あんな恐ろしいとこは無い!だいいち。地元の人よりも。万場町とか山の方の人が働きにきていた。またそんな山の方の人しか勤まらないと思えた。でも母親は嬉しそうに働きに行ってましたね。毎日毎日。うどんを食べていたらしい。うどんが70円だよ!食券を見せてくれました。後年。母親が糖尿病になったのは。TOYOTA自動車工場が原因か思えて仕方がない。うどん一杯だけで一日中働いていたから。日銭が入ってくると家の中が明るくなった。慶一の父親は他人飯が食べられなかったら。「他人と話をするのが怖かった!!」と言ってました。「.俺は!他人が嫌いなんだ!!だから俺は60歳になるまで誰とも話をしてこなかった!」と言ってました。たぶん父親は対人恐怖症だったのだろう?

 

 

慶一は久米に嫉妬した。久米は勉強が出来て。スポーツ万能。先生からも褒められた。クラスメイトからも信頼されていた。慶一も久米のようになりたいと思った。だから慶一は毎日が惨めでした。生まれながら負犬!!そんな子どもでした。