2020-01-01から1年間の記事一覧

ホンキー・トンキー・クレイジー・アイラブユウ❤️

僕は、今感動しています。こんな素晴らしい書物に出会えて事が嬉しく堪らない。なんとも言葉が見つからないないぐらい。それほど凄い。マルケスの「コレラの時代の愛」よりも。ミラン・クンデラの「生の彼方へ」よりも。プルーストの「失われた時を求めて」…

自伝

僕の家族写真です。母親と父親と妻と娘と僕の5人で藤岡市のファミリーレストランココスに行きました。その父親は、介護施設。朝起きたら。オシッコがでない。膀胱に尿が溜まり、お腹が痛くて苦しんでいた。高崎市の内科山名医院へ連れて行く。この先生は、仲…

城西大学の思い出から

城西大学理学部数学科に入学してからは、勉強をしなくなる。大学図書館に行き、柴田錬三郎全集を読んでいた。授業も出なかった。また微分・積分のはなしを先生がしていた。また大学で微分・積分するのか?あれは、好きでは無かった。それでは、数学科に入っ…

公務員について

群馬法科ビジネス専門学校。 公務員専門学校。 1年生の学校。 授業料は、100万円。 奨学金支援制度あり。 場所は。 群馬県前橋市。 新前橋駅から徒歩で数分。 卒業してからの進路。 警察官。学校の事務員。消防署。 裁判所の書記官。町役場。刑務官。 公…

富士浅間神社 緑賓館にて 

富士浅間神社 緑賓館にて 当時は、豪華な結婚式会場でした。 36歳になっていた。それまでも誰ともお付き合いもしてこなかった。職場の家族で、みんなが集まる食事会がありました。あちらこちらには、幸せそうな家族が子どもたちを連れて集まっていた。普段と…

横浜駅警備員物語

僕は、この7年間は、派遣社員やパート社員または、警備員として働いてきました。2011年3月11日に起きた東日本大震災からは、あちらこちらを転々としては働く。勤めていた会社の広告収入が減り会社が急に傾きはじめました。2011年の6月に読売新聞群馬工場をリ…

初めて僕が書いた小説のようなもの。②

こんにちわ!新井慶一です。その2(小説のようなもの) 8月25日(金)の夜から8月26日(土)にかけての長くて短い歓送迎会。志賀高原から爽やかな風が吹き抜ける草津温泉。高原特有の短い夏が終わりもう秋の気配が漂っていました。僕は半袖のラガーシャツに黒…

流動化社会を底辺を彷徨いながら。

僕は、この7年間は、派遣社員やパート社員または、警備員として働いてきました。2011年3月11日に起きた東日本大震災からは、あちらこちらを転々としては働く。勤めていた会社の広告収入が減り会社が急に傾きはじめました。2011年の6月に読売新聞群馬工場をリ…

城西大学の思い出 ②

みさお食堂。よく通いました。店は、カウンターだけ。10人も座ると満杯。漫画の本があり。毎回行くたび読む。植田まさしの「かりあげ君」がベストセラーでした。ボロボロの本を笑いながら、カウンターで読んでいたのを思い出します。チキンカツは、おいし…

城西大学の思い出 ①

こんにちわ!新井慶一です。9月25日(月) (城西大学経済学部の思い出。) 第一福島荘は、城西大学の東側にあった。現在はコンビニのファミリーマートになっています。建物は木造建築の2階建て築は10年ぐらい。部屋は四畳半一間、トイレは共同で水洗トイレ…

もう!!僕は、話したくない!!

わたしはもうそれについて話をしたくない! I Don't Want to Talk About It 。 ロッド・スチュアートの代表的な名曲。 僕の新婚時代 (自伝的な散文です。) Stand by me(私の傍にいてね) ケイリー・スワンソン You Raise Me Up(君は僕に生きる勇気を与え…

初恋の思い出

群馬県高崎市。 高崎城址公園の夜桜。 黒い湖面に鮮やかなピンク色。恐ろしいほどの不気味さ。 僕の人生は、18歳で終わっている。いや。15歳で終わったと感じた。そのあとの人生は、全て徒労であった。恋も同じ。高校から大学から社会人になっても好きな…

橋爪さんの思い出

橋爪さんの年齢は、書きません。独身女性ですからね。自信に溢れてさえいえる。支えているのは、ネパール出身のパロタウラサロズさんやそのほかのレストランサービスの人達かも。出身地は、大阪府。24歳の頃。人生のどん底を味わう。拒食症で、食べることが…

青葉繁れる

僕の両親は、長生きである。僕が知る限り病院に通った事は、無い。 母親は、大の病院嫌いである。病院に行くと病気という名前を付けられ入院させられと思っていた。だから母親は、無理しても病院に行かない。40歳ぐらいの時に村の公民館で行われた健康診断…

グランド・F・テニス倶楽部の思い出 後半

別の角度から。後半部分。同じ内容をもう少し踏みこんで書いてみます。 時代は、バブル真っ最中。確か。1990年頃。槙原敬之の「どんなときも」とか大事マンブラザースの「それが大事」とかが流行っていた。12月末のテニス倶楽部主催の忘年会、場所は、…

グランド・F・テニス倶楽部の思い出 前半

どおしても、書かなければ。ならない。 硬式テニスに夢中になっていた時期。ただただ感謝の言葉だけ。僅か数年間でしたが、楽しかった。ありがとうございました。あの時間が無かったなら。もっと農協のリストラが堪えただろう。その後の紆余曲折的な人生もな…

はじめての小説

こんにちわ!新井慶一です。その18月25日(金)の夜から8月26日(土)にかけての長くて短い歓送迎会。志賀高原から爽やかな風が吹き抜ける草津温泉。高原特有の短い夏が終わりもう秋の気配が漂っていました。ライトアップされた湯畑から湯気がもうもうと立…

マウスコンピュータの思い出

パソコンしてます。買ったばかりのマウスノートパソコン。談話室のテーブルに座って。Wi-fiを繋げる。ここは、夕方から夜まで、中国人留学生からリゾート派遣の溜まり場。散らかり放題。でも毎日。午前中に掃除のお婆さんが来ていた。シーツやら布団やらを…

テニスの思い出

僕は、毎日テニス倶楽部に通った。職場から逃げるかのように仕事が終わるとラケットを持って出かけました。その当時一緒に働いていたJA美九里支所の吉田さんとJA平井支所の永松さんに言われた。「 新井けいちゃんは、もう職場の女性とお付き合いも結婚も…