テニスの思い出!!総集編!!


慶一は28歳まで暗い生活をしていた。趣味は読書と音楽鑑賞。仕事で得たお金は本やCDで終わった。ときどき。仕事仲間に誘われてパチンコ屋に行くことだけ。そのパチンコ屋さんで中里に会う。その頃読んでいたのは。釣りバカ日誌とまんだら屋の良太。全巻揃えて読んでいた。音楽はモダンジャスのセロニアス・モンク。中里とはその後10年間も高崎市までハンバーグを食べに行くようになった。それはうまかった。ご飯をかならず2杯食べた。食後の珈琲もうまかった。中里の友達が一緒にきていた。楽しく楽しくてその時間が終わらなければ良いと思った。毎週の恒例行事になっていた。場所はステーキのドン問屋町店。その仲間のひとりは数十年後には高崎市の高松中学校の校長先生になったと話しが伝わってきた。新井さん!!僕は離婚したばかりなんだ!!学校の先生と結婚した。でもすぐに別れたと話していた。そしたら数年後にはまた結婚していた。慶一は目まぐるしい人生だなぁ!!と思った。慶一は女性と話しもしたことがないし。当たり前だけど女性とデートもしたことがなかった。それなのに結婚したり離婚したりまた結婚したり。その話しをしたら中里は。良い男性はモテる。新井!!新井!駄目だ!だいいちに農協職員ならば誰も女性が相手もしない。農協は市役所の下請け会社だからだよ!!と僕に話した。女は男性の顔を比べたりしないよ!学歴と職業。また年収!!だからこそ髙橋先生は高崎高校卒業して早稲田大学教育学部卒業のインテリだから女性がチヤホヤするのだよ!!と説明してくれた。そうか!それが原因か?と思った。でも。もう慶一は30歳近くになっていたから。手の内ようが無かった。やっぱり早稲田大学卒業して学校の先生には敵わないものだ!!と痛感した。慶一は髙橋先生は気が弱くて映画好きなので話しが合う。いっしょにアメリカ映画のアダムスファミリーを観に行った。だから会えばまた仲良くなるかもしれませんが。その後。お付き合いはまったくしてない。
その頃。社会はバブル景気で浮ついていた。藤岡市にテニスクラブが出来た。硬式テニス界では超有名な中村博敏が農協のガソリンスタンドで。慶ちゃん。藤岡市にテニスクラブが出来るよ!!行ってみたら!藤岡高等学校の体育の先生をしていた山口先生が始めるからと言った。慶一はそれは面白いから行ってみるか?とこころの中で思った。そして軽トラックで近くに行って見た。何にもない。そこにいた叔母さんと話しをした。そしたら。会員になったらまたきてね!と言われた。たぶんですがその叔母さんは50代だったと思う。その叔母さんには2人の娘がいた。上の娘は背が高くて痩せていて。ハキハキしていた。名前はA子と言った。慶一は楽しみが出来た。JAの仕事はつまらなくて。嫌で嫌で仕方がなかった。だからなおさらテニスクラブに行くようになった。性格が明るくなった。ナイターテニスで走り回っていると仕事の悩みが消えた。またテニスが楽しくて。女性も忘れた。慶一は風俗通いをしていた。それがテニスクラブ入ったら。女性に興味が無くなって行った。叔母さんは慶一に女はもっと積極的で無ければ駄目だよ!!新井慶一さんは男性らしさがないから。女を奪い合いようなところも必要だよ!と話してくれた。
それが失敗だったと思う。スポーツというのは一生懸命にやると社会からずれてしまう。テニスクラブは少しずつ会員が増えていました。慶一は叔母さんの娘が好きだった。お付き合いはしてない。また。叔母さんの娘に立川さんが惚れていた。立川さんは吉野工業で働いていた。その頃は吉野工業の社員が大勢。テニスクラブの会員になっていた。中村くん!齋藤さん!大久保さん!土曜日や日曜日になると大勢集まった。叔母さんの娘のBは中村くんがそうとうに好きだった。と思う。でも叔母さんは一流の大学を卒業している男性が目当てなので。中村くんは叔母さんには眼中になげなのがわかって中村くんが気の毒に思った。確か中村くんは高崎工業高校の機械科出身だと思う。それで吉野工業製作所に入ったらしい。
その後。一年後か二年後に藤岡市神田の小暮さんがテニスクラブに入ってきた。仕事は測量士。小暮さんは白いTOYOTAマークⅡに乗っていた。その当時。一番人気のクルマでした。また小暮さんはお金がいっぱいあるような話しでした。小暮さんは叔母さんのお気に入りになった。小暮さんがうちの娘と結婚してくれたら良いのだけれどと言った。でも小暮さんは。俺は駄目なんだ!!ああいうハキハキした女性が一番苦手なんだよ!と話していた。だからその頃はまだA子さんの結婚は決まって無かったと思う。また小暮さんの友達が来た。藤の丘美夜之窯の陶芸家でした。名前は本多くんと言った。またA子さんの女友達もきた。名前は忘れました。群馬銀行安中支店で働いていた。おとなしい感じの子でした。でもテニスプレイは上手くてファハンドはしっかりとした強いボールを打っていた。

 

 

 


1990年代はスキーブームでした。慶一の仲の良い中里とテニスクラブの小暮さんがいっしょにスキーに行ったらしい。どこで知り合ったのか?それは。意外な組み合わせだと思った。あとで中里に聞いたら。青少年センターの料理教室。中里は男性なのに女性がいっぱいいて花嫁修行の女性に混じってクリスマスケーキ作りに参加していた。そこで神流支店金融係で下戸塚の中山さんと知り合いになったらしい。小暮さんのTOYOTAマークⅡにはJA神流支所の中山さんがいた。もうひとりの女性がいたらしいがその女性は知らない。女性2人と男性2人。たぶん苗場スキー場だと思う。中里が派手好きだから。ユーミンの「スキー天国サーファー天国」をよく聴いていたし。慶一はスキーが苦手。どうも楽しくない。それなのでスキー道具を持ってはいたが。中里に誘われても拒否していた。職場では。スキー大好きの中山さんはスキーをしない男性は嫌いだ!!と遠回しに慶一を非難していた。口うるさい女性だった。それに慶一のJA生命保険の勧誘成績が悪いことも職場で話していたらしい。それなのに慶一が農協の仕事をサボってテニスクラブに通っていることも何故か?気にしていた。たぶんテニスクラブに好きな女性がいるのだろう!とだからあんなに毎晩とテニスばかりしているのだろう!と職場で言われた。慶一は中山さんを気が強くて口うるさいと思っていた。でも。慶一は中山さんと同じ神流支所で働いていたら。どうなったかわからない。慶一はおとなしくてM系の男子なので。慶一は気が強い女性が大好きでした。慶一はおとなしい女性は一番嫌いなタイプでしたから。また中山さんは芸能人の中山ビデちゃんの身内でした。だから藤岡市では中山一族を知らない人がいなかった。でも慶一は平井支所だから。まず会うことも無かった。それに慶一はスキーがいくらやっても好きにならないのだから仕方がない。それは農協の橋本くんからも言われていた。また中里からはスキーをしないと結婚できない!!と言われた。

冬場だった。寒い日でも。白い上下ヨネックスのウェアーを着てテニスクラブに毎晩通った。ある日。テニスクラブの叔母さんに言われた。新井さんは二股かけているの?と。まさかウチの娘と中山さんの天秤かけているのだろう!と言われた。山口先生からは。新井慶一はだらしのない人間だ!!と言われた。あっちこっちに女性にちょっかい出しているふざけた男性である。と言われた。でも慶一は何にもしてないし。二股かけているなんて!僕がそんなにプレイボーイではないよ!と思った。その頃から徐々にテニスクラブでの立ち位置が悪くなった。どうしてこういうふうに慶一を悪い方に悪い方に向かわせるのか?誰か。山口先生の奥さんに新井さんが二股かけているよ!と告げ口でもしたらしい。それはまいった。してないのにしていると言われるくらい辛いものは無かった。だって慶一は繰り返し言うけど。女性とデートもしたことが無かった。

その頃だと思う。陶芸家の本多君が。山口先生の娘さんの彼がテニスクラブで叔母さんと話していたよ!と言った。その男性は礼儀正しく背が高くて色白で営業マン風と言っていた。陶芸家の本多君もA子さんが好きだったらしいから。ちょとだけ。ガッカリしていた。慶一は目の前真っ暗になった。恥ずかしさで穴があったら入りたくなった。テニスクラブの叔母さんのお気に入りは藤岡市神田の小暮さんでした。その小暮さんは叔母さんの娘さんのA子さんが一番苦手だと言っていたし。叔母さんから慶一は二股かけていると言われるし。藤岡市小野の縫島さんからは先生の娘を好きになるのは。「 新井さん!おこがましいよ!!」と忠告されたし。やめなさい!!と暗に言われた。ここではっきりと言います。中山さんとは。デートもしてないし。話しもしてないし。何にもない。確か農協のスキー同好会でみつまた・かぐらスキー場でいっしょになったことがあるぐらい。中山さんはその年に結婚した。そしてそのあと少し経ってからテニスクラブの娘のA子さんが結婚した。その時。やっぱりテニスクラブの叔母さんの娘のA子さんが一番好きだったことがその時わかった。だいいち神流支所の中山さんが結婚した話しを聞いても。そんなに動揺もしなかったから。

 


僕は先生に告げ口をしたのは小暮さんだと思う。小暮さんは叔母さんと仲が良くて。テニスクラブのクラブハウスでコッソリと話していたのを見ていたから。その時意味深な目つきをテニスクラブに来たばかりの僕に注いでいたから。また嫌な話しをしているなぁ!と思ったが。まさか僕の働いていた藤岡農協の職場内の話しだと思っても見ませんでした。また。農協職員は軽く扱われると思った。中里は藤岡市役所の建設課で。小暮さんは建築会社の測量士でした。どちらも公共事業関係だから。給与も良くて。安定していた。それを農協職員の独身女性をスキーに連れ回して。結婚するわけでもないのに。スキーの帰りにカラオケや居酒屋を感じたから。中里だけならば安心だけど。小暮さんがひとりだとちょっとだけ危ない感じでした。なおさら可哀想なものだ!!と感じ、また。数日前のスキーの雑談で盛り上がっていたらしい。それは想像ですが。たぶん。テニスハウスで叔母さんと小暮さんはそんな話しをしているのだろう?と慶一は思った。その時偶然にも。僕がテニスクラブのドアを開けた時に嬉しげに話していたから。

神田の小暮さんは。僕と逆でスキーが大好きでテニスが嫌いでした。僕はテニス大好きでスキーは大嫌いでしたから。また新井慶一はM系男子。小暮さんはS系男子でした。だからその日も小暮さんはテニスをしないで帰っていた。「.こんなところでテニスなんかしても面白くもなんともない!!」と平気で喋っていた。そのおおらかな話しぶりに叔母さんは。小暮さんは。歯に布を着せない喋り方に笑っていた。どうしてかと言うと。テニスクラブの叔母さんもスキーが大好きでしたから。まさかその時。僕の話しをしていたらしい。その時期がスキーシーズンと重なっていたから。やっぱりテニスクラブで大勢が集まると。話しが合う仲間同士で。仲のあんまりよくないひとたちの悪口を言うようになるものなのだろう。その頃。僕は話し相手が少なくなってきたから従兄弟の中野をテニスクラブに入会するように勧めた。中野はまだ独身でした。茨城大学農学部を卒業して群馬県庁に入っていたから。僕は叔母さんの娘とは結婚出来ないと思ってきたから。出来たら従兄弟の中野ならば。叔母さんの娘とちょうど良いかもしれないと思った。だいいち叔母さんは新井さんは大学を卒業しているの?4年生の大学を卒業しているように見えない。そんなことを話していた。中野がテニスクラブに入ったら。急にテニスクラブの経営が傾き始めた。中野は群馬県の県庁職員。他のテニスクラブのメンバーは。街の中小企業の労働者ばかり。話しが合わない。ナイターテニスは労働者の息抜きだったのが。中野がテニスクラブに入ったら。格差が出てきてしまった。吉野工業製作所やその他。街の中小企業の労働者は。急にテニスクラブを辞めて行った。たとえば。吉野工業製作所の齋藤さん。大久保さん。来なくなった。立川さんも休みがち。何故か?中村君は頑張ってましたね!!でもその代わりに群馬銀行の宮下さんと群馬県庁の中野がテニスクラブの中心になってしまった。宮下さんは良い人だし。中野も良い人なのに。中野はTOYOTAランドクルーザー4WDだし。他のテニスメンバーは一般の大衆車。これならばみんな辞めちゃうのは当然だけど。まさかこんなことが起きるとは思っても見なかった。そしたら。叔母さんは県庁の中野さんをテニスクラブに入れたのは。新井さんだから。新井さんがテニスクラブを悪くしたと言い始めた。僕はそんなつもりではなかったのに。そうなってしまったとしか言えない。だって。テニスクラブのオーナーの叔母さんの娘さんには。群馬県庁の従兄弟ならば。お似合いだと思っただけだから。またその後。僕はテニスクラブを辞めた。小暮さんとはそんなに友達でもなかったし。陶芸家の本多さんも良い人だったし。また縫島さんはとっくに辞めていたし。中里は最後までテニスクラブに入らなかった。またみんな辞めたから。僕は急に居場所がなくなったと感じてきたし。それまでは土曜日も日曜日も朝9時から夕方までテニスをしていた。そして辞めたら。僕自身が目の前が真っ暗になった。だいいちその時はもう34歳になっていた。何にもなかった。中里の言ったことが事実になった。テニスクラブには行かない方がいい!!すぐに辞めないと人生を失うぞ!と僕に警告していたから。そしたら農協では。新井さんがテニスクラブを悪くしたらしいと言われた。そんな悪いことはしてないから。ここではっきり言っておきます。そうなるようになったとしか言えない。

その後。従兄弟の中野は群馬県テニス協会の役員や藤岡市テニス協会の役員のトップまで行くほどテニス好きだから。僕はテニスクラブの叔母さんの娘さんには。やっぱり中野がピッタリだと今でも思っています。