テニスの思い出!!プラス➕!!

僕は先生に告げ口をしたのは小暮さんだと思う。小暮さんは叔母さんと仲が良くて。テニスクラブのクラブハウスでコッソリと話していたのを見ていたから。その時意味深な目つきをテニスクラブに来たばかりの僕に注いでいたから。また嫌な話しをしているなぁ!と思ったが。まさか僕の働いていた藤岡農協の職場内の話しだと思っても見ませんでした。また。農協職員は軽く扱われると思った。中里は藤岡市役所の建設課で。小暮さんは建築会社の測量士でした。どちらも公共事業関係だから。給与も良くて。安定していた。それを農協職員の独身女性をスキーに連れ回して。結婚するわけでもないのに。スキーの帰りにカラオケや居酒屋を感じたから。中里だけならば安心だけど。小暮さんがひとりだとちょっとだけ危ない感じでした。なおさら可哀想なものだ!!と感じ、また。数日前のスキーの雑談で盛り上がっていたらしい。それは想像ですが。たぶん。テニスハウスで叔母さんと小暮さんはそんな話しをしているのだろう?と慶一は思った。その時偶然にも。僕がテニスクラブのドアを開けた時に嬉しげに話していたから。

 


神田の小暮さんは。僕と逆でスキーが大好きでテニスが嫌いでした。僕はテニス大好きでスキーは大嫌いでしたから。また新井慶一はM系男子。小暮さんはS系男子でした。だからその日も小暮さんはテニスをしないで帰っていた。「.こんなところでテニスなんかしても面白くもなんともない!!」と平気で喋っていた。そのおおらかな話しぶりに叔母さんは。小暮さんは。歯に布を着せない喋り方に笑っていた。どうしてかと言うと。テニスクラブの叔母さんもスキーが大好きでしたから。まさかその時。僕の話しをしていたらしい。その時期がスキーシーズンと重なっていたから。やっぱりテニスクラブで大勢が集まると。話しが合う仲間同士で。仲のあんまりよくないひとたちの悪口を言うようになるものなのだろう。その頃。僕は話し相手が少なくなってきたから従兄弟の中野をテニスクラブに入会するように勧めた。中野はまだ独身でした。茨城大学農学部を卒業して群馬県庁に入っていたから。僕は叔母さんの娘とは結婚出来ないと思ってきたから。出来たら従兄弟の中野ならば。叔母さんの娘とちょうど良いかもしれないと思った。だいいち叔母さんは新井さんは大学を卒業しているの?4年生の大学を卒業しているように見えない。そんなことを話していた。中野がテニスクラブに入ったら。急にテニスクラブの経営が傾き始めた。中野は群馬県の県庁職員。他のテニスクラブのメンバーは。街の中小企業の労働者ばかり。話しが合わない。ナイターテニスは労働者の息抜きだったのが。中野がテニスクラブに入ったら。格差が出てきてしまった。吉野工業製作所やその他。街の中小企業の労働者は。急にテニスクラブを辞めて行った。たとえば。吉野工業製作所の齋藤さん。大久保さん。来なくなった。立川さんも休みがち。何故か?中村君は頑張ってましたね!!でもその代わりに群馬銀行の宮下さんと群馬県庁の中野がテニスクラブの中心になってしまった。宮下さんは良い人だし。中野も良い人なのに。中野はTOYOTAランドクルーザー4WDだし。他のテニスメンバーは一般の大衆車。これならばみんな辞めちゃうのは当然だけど。まさかこんなことが起きるとは思っても見なかった。そしたら。叔母さんは県庁の中野さんをテニスクラブに入れたのは。新井さんだから。新井さんがテニスクラブを悪くしたと言い始めた。僕はそんなつもりではなかったのに。そうなってしまったとしか言えない。だって。テニスクラブのオーナーの叔母さんの娘さんには。群馬県庁の従兄弟ならば。お似合いだと思っただけだから。またその後。僕はテニスクラブを辞めた。小暮さんとはそんなに友達でもなかったし。陶芸家の本多さんも良い人だったし。また縫島さんはとっくに辞めていたし。中里は最後までテニスクラブに入らなかった。またみんな辞めたから。僕は急に居場所がなくなったと感じてきたし。それまでは土曜日も日曜日も朝9時から夕方までテニスをしていた。そして辞めたら。僕自身が目の前が真っ暗になった。だいいちその時はもう34歳になっていた。何にもなかった。中里の言ったことが事実になった。テニスクラブには行かない方がいい!!すぐに辞めないと人生を失うぞ!と僕に警告していたから。そしたら農協では。新井さんがテニスクラブを悪くしたらしいと言われた。そんな悪いことはしてないから。ここではっきり言っておきます。そうなるようになったとしか言えない。

 


その後。従兄弟の中野は群馬県テニス協会の役員や藤岡市テニス協会の役員のトップまで行くほどテニス好きだから。僕はテニスクラブの叔母さんの娘さんには。やっぱり中野がピッタリだと今でも思っています。