公務員について

群馬法科ビジネス専門学校。

公務員専門学校。

1年生の学校。

授業料は、100万円。

奨学金支援制度あり。

場所は。

群馬県前橋市

新前橋駅から徒歩で数分。

卒業してからの進路。

警察官。学校の事務員。消防署。

裁判所の書記官。町役場。刑務官。

 

公務員就職率がなんと95パーセント。

群馬県に来て、公務員になりましょう‼️

 

 ボクの考えは、生き急がない事。
警察官の試験は、35歳まで採用してくれます。公務員上級職は、29歳まで。
村上春樹先生の言葉がある。
30歳迄は、蓄積期間として思考錯誤して学びながら。将来設計は、そのあとでも良いよ。そんな事を書いていた。大賛成です。それまでは、バイト君をしていればよいと思う。ボクのテニス友達は、28歳か29歳まで中学校の先生の非常勤講師をしていた。名前は、高橋先生と言った。何がなんでも先生になりたいから、毎年毎年、群馬県の教員採用試験を受けては、不合格になる。大学を卒業して、すでに5年間は、バイトと勉強。ダイアモンドテニススクールに一緒に通っていた。一度だけ映画を一緒に見に行った。アメリカ映画の「アダムスファミリー」( 1991年) その間に高橋先生は、結婚離婚そして再婚と忙しく生きていた。そのあとは、会うことがなくなっていった。ボクがあまり人に会うことを避け始めたから。まだ。付き合っていた時に、
高橋先生とスキーに行った事もある。小学校の先生ばかり。表万座スキー場でした。生まれて始めてのスキーでした。でも運動神経バツグンなのですぐにマスターした。まだバブル真っ最中。表万座スキー場は、西武ライオンズ系列。あの当時は、堤義明社長は、世界一の大金持ちと言われた。ゲレンデも綺麗。ロッジもお洒落。みんなお金持ちばかり。駐車場は、高級なクルマが並んでいた。小学校の先生グループとJA職員では、話しが合わない。また小学校の先生は、目的意識があり。当のボクは、やる気なし。働らく意欲もなし。それが伝わるのか。スキー場でも女の子とは、ほとんど話しができませんでした。ペアリフトに女性と並んで座った。女性から、働らく目的は、なんですか?と聞かれた。えーと。何にもなし。そんな受け答えをしたら。女性は、ダメだなぁという雰囲気でした。それは、まだ。20代後半だった。それでもスキーそのものは、楽しかった。浅間山が真前に見えて。スキーコースは、緩く長く。4キロのコース。天気も良かった。家に帰ってきてから。JAに勤めないで、裁判所の事務員になれば良かったと思った。公務員にならないと小学校の先生と結婚できないのかと強く思いました。城西大学理学部数学科を卒業して学校の先生になるつもりが途中で脱落してしまった。

 この頃は、茂原もいた。あまり神経質では無いところが良かった。
山登りに行った事もある。何故か。山登りに凝っていた。八ヶ岳とか北アルプスとかの写真集を良く買ってみたり。一度だけ一緒に山登りに行った。ただただ寒かったことだけ覚えている。

高橋先生は。でも現在では、高崎市の〇〇中学校の校長先生をしているとか。「 新井さん!ボクはねぇ!そんなに正規の教員には、拘らないだよ!非常勤でも、学校に行って生徒に教えられれば、それでいいだよ!」と言っていた。「それは、負け惜しみというだよ。」その当時。ボクはJAたのふじで働く。正直言ってボクの方が勉強家でした。既に危険物取扱者から毒物劇物取扱者や簿記検定も持っていた。しかしながらその後、リストラ。またリストラと酷い目に遭う。ボクよりも勉強しない高橋先生は、校長先生。ボクは、60歳前後は派遣社員やパート社員。だからこそボクの言う事がわかって貰いたい。学問とは、公務員試験の事である。国語と社会が主で。数学と理科と英語と続くこの5教科。あとは、面接と討論。それ以外の学問は、無駄とは言わないがそんなに頑張らなくても良い。たとえば農協法とか。ボクは、一年間も勉強してしまった。または、介護主任初級者とか。社会福祉士とか。それらは、公務員試験に合格した後からでも間に合うから。高橋先生と中里と橋本とボクの4人で前橋スズランに行ったことがある。1月2日。全員独身。確かそのあと。前橋市のステーキのドンでハンバーグランチを食べただけ覚えています。その後は、まったく会わない。やはり高橋先生だけが出世した。あとは、中里が藤岡市の汚水処理施設からなんとかして、藤岡市役所に入る。橋本君は、確か多野信用金庫。茂原は、新町信用金庫だった。あれから30年は、以上経っている。ボクは、その頃から進歩どころか、リストラまたリストラと酷い人生でした。藤岡市農協から、読売新聞群馬工場と転々としました。やはり。勉強が大切だと痛感しました。

 

 

 

 

本論

  ボクは、大学に進学することよりも。高校卒業して。公務員専門学校に通う事を勧めます。まずは、消防署や警察官や裁判所の事務員になる。高卒でも公務員になれば、300万円から400万円は貰えます。じっと我慢していれば、生きていける。病気になれば保障もある。まずは、地固めが大切。お金が入って来ないと勉強にもならない。それから。働きながら勉強すれば良い。これからは、テレワークが進み。家庭でパソコンから学ぶ事が増えてくると思う。出来たら裁判所の事務員とか学校の事務員になる。仕事が終わったら。家でもスタバでも。ノートパソコン💻とiPhone12でも持って音楽を聴きながら勉強する。30歳までは、自分なりに勉強すれば良い。そうしながら。上級公務員試験や学校の教員の免許を取得するように頑張る。でも勉強する気が無くなり。また仕方なく学校の事務員になるしかなければ、そのまま定年まで勤めれば良いかと思う。どう生きようと本人が決めれば良いか思う。たとえば。2003年の規制緩和が行われた。政府は、派遣労働を容認。普通の大学生がおります。現在は、コロナ禍。日本大学を卒業しました。正社員の職がありません。学生時代からアルバイトばかり。勉強は、必修単位所得のみ。余分な単位。教員資格免許は、取れない。奨学金の返済があり。派遣社員で働かざるおえない。家賃もある。生活費も稼がなくではならない。時給は、1000円。160時間働いて、16万円。やっと食べるだけ。そんな過酷な労働で20代を過ごすよりかは、地元で公務員になる。その方が、ずっと良いかと思う。東京での下宿生活は、けっして楽しく無い。大学の寮に入れば。いろんな人と話しができるかもしれない。ひとり暮らしなら、寂しくて勉強にもならない。暖かい環境も勉強には、必要。無理して東京に行かない事。東京から群馬県は、近い。群馬県民は、東京は、貧乏ぽくて住めないといいます。山手線に乗るとブルーシートばかり目につくし。ホームレスばっかりじゃん。と思う。確かに群馬県には、スタバはあり、イオンモールもあり。紀伊国屋書店もあり。東京とそれほど変わらない。また群馬県は、優しい人が多い。ホームレスは、見たこと無い。だからみんなすぐに東京から群馬県に戻る。
頭が良い人は、東京の大学の先生だけでは無い。意外と身近にいます。いなければ、本を読む。先生と言われるぐらいの立派な本を書いている人がおります。ボクは、そんな著者を自分で見つけました。國學院大学教授英文科の丸谷才一と同じく國學院大学のドイツ語の中野孝次。この二人は、学べます。海外の古典や日本の古典から南米の現代小説まで良く知ってました。
まずは、初級公務員試験を受けて働らく。それから学ぶ。そんな方向転換も必要だと思う。家の近くが学びに適している。仕事だって学べる。通信教育も早稲田大学からまたは、中央大学とかあります。通信教育で落ちた人は、いない。全員が合格します。通信教育で、卒業しなかったとか途中で嫌になった話しは、良く聞きます。どんな形であれ、上級公務員試験は、大卒が絶対条件。たとえば群馬県庁。または、高崎市役所と前橋市役所は、大卒が条件である。でも通信教育で大学卒の免許を取っても。受験することは、多分可能だと思う。合格するかとかは、なんとも言えないがまさか。通信教育の大卒は、NOとか言わないだろう。ボクが言いたいのは、勉強する事。途中から、勉強なんかやってられないと思ったら、または勉強は、馬鹿らしいと思ったら。その子は、お仕舞いです。頭が良いと悪いとかは、無い。本人のやる気だけです。

 

 

 

ボクの思い出

 


JA藤岡市農協ガソリンスタンド。

 

 

 


悪い夢を見てしまった。いつまで結婚出来ない夢です。正夢かと思う。過去がまだ追いかけてくるようだ。

34歳を過ぎてから。友達がなくなっていった。その時の恐怖感は、とても言葉で言い表せられない。夜寝ていると金縛りあったこともある。結婚してくれそうな女性が周りに居なくなってしまった。この先どうしようと思った。原因は?テニスに夢中になっていたためである。30歳を過ぎてもテニス🎾をしていた。テニス倶楽部に行っている間は、まだまだ女性との縁があるような気がしていた。お付き合いは、してないが。それが行かなくなると。まったく周りに、女性たちがいなくなった。どうしようと思った。まだ農協なので、たまには若い女性がいましたが。それは、少しは慰めにはなった。今でも夜寝ていると夢に見ることがある。それは、40歳を過ぎても独身でいる夢である。この夢は、怖い。まったく周りにいない。またたまにお見合いをしましたが、とんでもない女性だったりした。もう女性ではなく、どこにいたのかと思う女性で。とても一緒に歩けるような女性では、なかった。お見合いパーティーに行ったこともある。1991年に高橋先生と映画「アダムス・ファミリー」をみた。映画館で暗い椅子に座ってみたのを思い出します。内容は、よくわからなかった。お化けの家族が出てくる話しでした。まぁゲゲの鬼太郎に似ている。1959年生まれのKは、32歳になっていた。もう結婚するには、遅い時期でした。また農協の仕事も30歳を過ぎると出来なくなっていった。独身者には、農協の仕事は過酷でした。ガソリンスタンドで働いていた。顔は、真っ黒。手も真っ黒。毎日朝から晩まで働き詰め。夜になるとスタンドの中でカラーテレビを見ていた。ちょうどJリーグが開幕日でした。ベルディ川崎と横浜マリノスが人気でした。三浦和良選手がブラジルから帰ってきていた。テレビでは、Dr.スランプ。アラレちゃんが出ていた。疲れていて、楽しめなかった。牧野さんと塩出さんもつまらなそうでした。漫画を見ては、笑っていた。同じように独身の塩出さんが働いていた。確か2歳か3歳上だから。35歳ぐらいだと思う。顔を真っ黒にして、働いていた。今もって塩出さんは、65歳の独身です。牧野さんと野辺さんは、40代でした。みんな怒りっぽく嫌々働いていた。俺たちは、ダメなんだ!とまるで島流しになった俊寛坊主になったようでした。やはりそういうガソリンスタンドは、その後潰れました。お客様も、嫌々なのが分かって。来たくなくなってしまったと思う。またスタンドで働いているボクを、両親は、心配した。頭が禿げたら結婚できないからと言って養毛剤のカロヤンを買ってくれた。わざわざスタンドまで足を運んだ。しかし焦ることは、焦るが女性が居なくなっていた。まずいことになった。早くに女性を見つけて置けば良かった。と後悔先に立たず。30歳を過ぎると縁遠くなる。でも20代は、まだ大丈夫。まだ先があるからとぼんやりしてました。その頃。一生懸命なら、別の綺麗な女性と結婚できたと後悔してます。たとえば。一緒に万座スキー場にスキーに行った女の子とか。あの子は、どうも結婚もしてなげ。もったいないなぁ。ボクが結婚したのになぁと思う。その子にしておけば良かったとつくずく思う。多少は、目を瞑る。そんなに美人は、いない。また35歳になるともういなくなる。どうしてかと言うと。美人で気立の良い子は、さっさと別の男性が先キープしてしまっているから。結局は、ちょっとという女の子が残っていることが多い。若い頃から、キープしておくこともあり。そうでないと。30歳を過ぎてから見つけようと思っても見つからない。また見つけてもブスだったりする。簡単に言うと。美人は、さっさと男性を見つけて結婚しているから。


読売新聞群馬工場製版課。

 

 

   

 

 
  ボクは、40歳を過ぎても群馬県立図書館で学んだ。前橋市の中心にあり。鉄筋4階建て。上層階は、学習室になっている。出来たら。冷暖房完備。Wi–Fi設備設置してください。せっかく学習室に来ても。コンセントも無い。ネットも出来ないのなら。テレワークも出来ないし。どうも図書館だと。デジタル化が進まない。また。お洒落な喫茶店も併設してください。スタバやタリーズドトールが入っていれば、もっと利用者が増える。ボクは、喜んで行きます。一階には、新刊本から。一階奥には、書庫があり。書庫も、図書館員に許可をもらえば、出入り可能。ほとんどの個人全集が揃ってます。ボクは、学ぶというよりかは、本を読むのが好きだったからですが。職場は、読売新聞群馬工場。毎日夜勤。職場は、男性ばかり、100人。今思うと。女性がいなくて、困った。やはりいくら結婚していても、会社に女性がいないのは、寂しい。1990年代から2000年ごろ。県立図書館で10冊本を借りる。国道17号高前バイパス沿いのマクドナルド。ブレンドコーヒー飲み放題サービスがあり。行くとかならず3杯や5杯は、飲んだ。クルマは、白ワゴンR。よく走りました。10万キロ走る。ちょっと前には、スズキのカルタスも乗った。スズキのカルタスは、良かった。1000ccなのですが、車体が軽くて5速マニュアル車。ガンガン走りました。今でも。またスズキカルタスに乗りたいと思っております。ボンネットを開けると。エンジンを冷やすファンがあり。キャブレターあり。エンジンがあり。バッテリーがあり。基本的に出来てました。無駄なもの無し。年中開けて見た。単純な作り。値段も69万円からありました。でも中古車なので。2年か3年で出してしまった。またスズキカルタスに乗っていると、何故かみんなが馬鹿にするのを感じたから。あんなクルマに乗っているわ!よく恥ずかしくないね!と思われた。特にテニス倶楽部の先生は、嫌な顔していた。クルマで人を判断するタイプでした。ボクの走るドライブコースも決まってました。ほとんど夜更け。藤岡市から高崎市まで国道17号で走り。そのあと高前バイパスで前橋市まで行き。マクドナルドで休憩コーヒー☕️☕️。それから。群馬県立図書館。そのあとは、伊勢崎市から上武大橋を渡り本庄市から藤岡市に戻った。いつもひとりでドライブしてました。カーペンターズ等聞いた。趣味は、ドライブなのかもしれませんが。本も音楽も聴きました。ひとり遊びに徹していました。
ガラ系の携帯📱電話がありましたが、買っても仕方がないと思いまだ使って無かった。iPhoneが出てからは、スマホ依存症になりましたが。マクドナルドに本を持ち込み。お昼から夕方まで。流し読み。それを休みの日に繰り返していた。大好きな作家は、中野孝次。全部読みました。大ファンでした。知らない人が多いと思いますが、1900年から2000年の間は、良かった。硬質でシャープな文体。キレがある作家でした。特に「生のなかば」という自伝的な小説は、当時日本最高傑作だと思った。その他。「風の良寛」「ローマの哲人セネカ」「わたしの唐詩篇」とか。あとは、瀬戸内寂聴先生の源氏物語現代語訳。瀬戸内寂聴先生には、痺れました。凄い時思った。あの頃丸一年間。頭の中は、源氏物語でした。きっかけは、丸谷才一さんでした。丸谷さんも一部分だけ現代語訳をしていました。また瀬戸内寂聴先生と丸谷才一さんの対談を読んだのだと思う。

 


2代目。
スズキカルタス。
1991年から1999年まで製造した。
エアコン。パワーステアリング
フル装備で68万円。
特に黒色は、カッコ良かったです。

 

 

 

 

 

 

スズキカルタス1000cc

 

 

 


 その間。バブル崩壊阪神淡路大震災山一證券破綻。就職氷河期。正社員から派遣社員へ。リーマンショック。そして3・11の東日本大震災年越し派遣村とそして昨今のコロナ禍と立て続けに激震が起きた。民間企業は、リストラ。リストラの連発。

テニス友達の中里が言うように、民間企業は、50歳になるとお金をくれなくなる。その時に子どもの学費が一番お金がかかる。だからボクは、民間企業ではなく公務員を選んだのさ!という絶対的な口癖は、本当になりました。それを口にしていたのは、1980年代半ば高度経済成長期のピーク時。既に未来の破綻を予言していた。