テニスの思い出

僕は、毎日テニス倶楽部に通った。職場から逃げるかのように仕事が終わるとラケットを持って出かけました。その当時一緒に働いていたJA美九里支所の吉田さんとJA平井支所の永松さんに言われた。「 新井けいちゃんは、もう職場の女性とお付き合いも結婚もしてはいけない。」二人は、始業時のカントリーエレベーター機械オペレーターのリーダー格でした。変だなぁと思った。二人とも職場結婚してました。確か南部カントリーエレベーターが平成6年に始動した時でした。泊まりや慣れない仕事で責任感でいっぱいでしたが。僕は、機械操作を覚えられずに足手纏いでした。まわりには、群馬藤岡農協の若い女性がオペレーターとして、数人いました。その言葉は、大きかった。吉田さんは、怖いから、コレは、言う通りにしないといけないと思った。実は、それは僕自身もそう思っていた。もう何回か失敗していたから。そのあとは、JAで残業して居ると職場の独身女性と一緒に長く居ては、いけないだろうと思った。だから職場は、時間が来ると家に帰っていた。中途半端に長居して。また職場の女性にちょっかい出してたりしては、いけない。だからH君がキャプテンをしていた農協女子バレーの練習会に行く訳には、行かないと思った。

 


 グランド・F・テニス倶楽部も2、3年経つと通うのが、楽しくなくなってきた。まずは、テニスの先生の奥さんに嘘をついている様な気持ちになってきた。テニスの先生に不正を働いている気持ちになる。先生の娘さんを騙している気持ちになる。またテニスそのものも楽しくないのを楽しそうにするのは、苦痛だった。この時。人間は、こころのままに正直に行動すべきだと思うと今なら思えますがその頃は、出来なかった。テニス倶楽部は、入ると出られない。出ると入れない。そのな場所でした。何故なんだろう?何年経っても少しも距離が縮まらないなら、それはもう行っても無駄なんだと思う。それに僕自身。無表情でノコノコ行くのもまた詰まらない。なにしているのか、実はその頃。わからなくなってきた。農協の仕事は、詰まらない。そこから押し出されるかのようにテニスラケットを握った。まるでmoratoriumモナトリアム人間になってきた。簡単に言うと。宙ぶらりん人間という意味。なんでテニスをしているのだろうと思いはじめてきた。だからだんだんと暗くなっていったのだと思う。また友人の中里の言葉も気になり始めた。新井!もうテニス倶楽部に行かない方が良いよ!行っても若い女性たちが居ないし、テニスの先生の娘さんと新井は、釣り合わないし。相手は、パキパキと反応が早いし。新井は、鈍臭いだろう。性格も合わない。時間の無駄だと思う!そんなような事を言われた。また中里特有の恋愛結婚理論を持ち出してきた。我々独身者は、すぐに結婚できないとわかったらまた別の場所に行かなければいけない!普通は、すぐに察知して動くもの。それができるか、できないかそれも結婚には、必要だ!それをみんな瞬時に判断している!たとえば、藤岡総合病院の看護師は、絶対に同じメンバーでカラオケボックス合コンしないだよ。(その頃は、カラオケボックスが流行りでした。)すぐに察知して、また次の合コンに向かうだよー。恋愛は、瞬間なんだ。お店に入って気に入った洋服をあちらこちらと選んでいては、駄目だ。お店に入って瞬時に判断するものを即決で買う。男性が女性を選ぶのも同じだよ。即決だ!どうしようか悩んでいたら、もう駄目だ!お互い困るだけだ!すぐに買って帰る事が、結婚には、大切なんだ!しかしながらあの当時を思い出してみると、2、3年もテニス倶楽部に行くともうそこから抜けなくなってきたのも事実。なんであんなに肝心な時期にテニス倶楽部に行ったのか、楽しい思い出になったのか?それとも人生を誤ったのか今となっては検討も付かない。これが本音です。

 


この頃。僕の妹から数枚の写真を見せて貰った。妹の女友達。三人で鎌倉へ遊びに行った写真でした。鎌倉の大仏の前。その女性の名前が横田由紀子と言った。

その女性は、太っていた。残りの二人は、痩せているから、余計に太って見えた。顔は、丸い。髪の毛は、長い。服は、太った女性がよく着ている長いスカート。それに白ぽいブラウス。元気の良さそうな女性でした。ちょっと男ぽい感じもした。その女性とこの後。1年後に結婚した。