呪われたトラック

 

 

慶一は覚えている。我が家に4トントラックが来た日を。その日を境に我が家は不幸に襲われた。父親が茨城県の墓石屋から安く4トントラックを購入した。相場の半額ぐらいでした。そのトラックは我が家が墓石を購入した経緯で墓石屋が我が家に売られることになる。それは大型でした。確かになんの変哲もないトラックでした。走行キロ数は。買った時には10万キロは乗っていた。父親の道雄は大喜びした。母親は買ったことを恨んだ。そんなものを買って!!早く売ってきな!!とそればかり繰り返していた。慶一も若くて。父親の道雄には何にも言わなかった。しかしながらわかったことがある。その4トントラックは維持費が嵩むこと。任意保険だけでも。一年間に20万円掛かった。また車検が10万円が毎年車検でした。その他修理費などで毎年50万円は掛かった。家はもともと貧乏な農家でした。からその後はのトラックの維持費で家計が苦しくなった。農家の収入は全部トラックに取られた。それでも父親は魅せられたかのように4トントラックで千葉県まで乗り回した。そのうち母親は諦めた。何にも言わなくなる。その当時は慶一は読売新聞群馬工場で働いていた。我が家の収入は慶一が支えた。父親は4トントラックを乗るとまるで天下をとったかのように走り回った。それはわかった。慶一は一度だけ4トントラックを運転した。運転席に乗ると。まるで王様になったかのように。いくらでもスピードが出た。怖いものなし。馬力もあり。まるで。恐竜に跨って。走っているような気持ちになった。それから間も無く。新井ふくが亡くなった。寿命だから。誰もその時は気が付かなかった。その後。慶一は農協をリストラされた。それを境に父親の道雄が変わった。以前は慈善的ところがなくなり。他人を信じることが無くなった。攻撃的なところが出て来た。他人は信じてはいけない。周りは悪い人間ばかりだ!!特に我が家は。みんなが恨みや嫉妬で新井家を潰しにかかって居ると言い始めた。トラックは茨城県の墓石屋から買った。その墓石屋は悪霊に取り憑かれて。倒産した。それは死者の呪いでもあった。墓石屋はバブル景気で大儲けしたが。そのあとの長い不景気で石職人などの仲間達が去った。最後に残った社長もすぐに亡くなった。病気になって死んだ。墓石屋は惨憺たる有様になった。バブル景気で年間数億円稼いでいた。宮大工が精魂込めて作った豪邸は競売になりなけなしの石削り機械も安く買い叩かれて。一家離散された。慶一は20年前。茨城県鹿嶋市の墓石屋に行った。海に面していたその墓石屋は無かった。しかしながら墓石屋が使っていたトラックは残された。それが我が家に辿りついた経緯である。その後。この呪われたトラックは我が家を飲み込んだ。

 


父親が介護施設に言った。

そうだトラックの売却だと思った。そしてすぐに売却した。その直後。まずは妹からの電話でした。慶一はトラックを処分した。これ以上このトラックを家に置いて置けないと感じた。正直言って。少し安かった。そしたら妹がそのトラックは。家のものだから買い戻すように連絡が来た。そんな馬鹿なあー!!だって昨日のことをなんで妹が知っているのか?それが不思議だ!また。妹がそのトラックを運送屋に頼んで元に戻すつもりだった。馬鹿じゃないか?と思った。そのトラックは祟りがある。また。トラックには自動車税やら任意保険やら。それらをどうするのかわからない。そしてまたトラックが家に戻った。