母親の思い出 その2

 

ボクと母親は、顔がよく似てました。

 

 


お年寄りを介護施設に入れるのは、家族みんなで相談して決めましょう。ボクの母親は、ボクの父親がかってに入れてしまった。本人曰く。ケアマネジャーに判断を誘導されたからという。確かそれはある。しかしながらその後半年間。母親を介護施設に入れたまま忘れていたという。大切にする気持ちが無かったのだろう。父親にはそういう点がありました。大の動物嫌い。犬も猫も大嫌い。これが禍わさわいしてしまった。母親が居なくなると。もうあらゆる事がつまらない。本も読めない。音楽も聴けない。楽しみは、母親の声だけなのに。父親も冷たい。ボクも冷たい。妹も冷たい。家族全員が冷たい。これが親戚中の指摘でした。そのせいか。お葬式もお通やもまったく人が来ない。

実の姉もいました。家は、町田市。年齢は、90歳あまり。顔は似てない。ボクの母親の方がか弱い。やはり妹だから。姉ちゃん。姉ちゃん。と母親は、子どもの頃と同じように懐いていた。仲が良いと思う。その姉は、一番悲しんでいるだろう!いもうとだから。母親は、意外と子どもぽいところがあるから。姉ちゃんは、威張るか嫌だ!という。どんな話をしていたかは、聞かなかった。ただただ。兄弟が仲良さそうでした。母親は、5人兄弟。実家は、藤岡市本郷。家は、農家でした。一番下の弟さんは、30代半ばで病気で亡くなった。その上の弟さんも60代半ばで亡くなった。特に一番下に弟さんが亡くなったときは、母親の母親は、まだ生きていて。それはそれは。たいへんな悲しみだったろう。死ぬ間際に病室で
そばにいた母親に母ちゃん。蕎麦が食べたいよ!!と言って亡くなった。母親も実の弟さんだから病院に行っていました。そのあと。今度はその上の弟さんが亡くなる。たまに家に来ました。何しろお酒が大好きで
ビール🍺が出てくると大喜びしていました。その弟さんは、大腸癌か肝臓癌で亡くなった。母親は、弟さんが二人亡くなっていた。それに輪をかけて。またボク自身の家出も苦労かけてしまった。母親には辛い思いをさせてしまった。その時にストレスで梅酒を飲み過ぎて。それが原因で糖尿病になったと母親は、ボクの顔を見るたびに言った。ボクは、と言えば。大学は、6年間も行っているし。卒業しても就職もできず。また結婚も35歳まで独身でした。35歳になると心配でオートバイ🏍に乗って。神流農協の中山さんの家まで行ったりしたらしい。母ちゃんが行ってどうするのかと思った。またボク自身は、テニスオタクでした。朝から晩までテニスばかりしていました。テニスと結婚したかのようでした。女性に興味がなくなっていきました。女性が嫌いでした。もしかして。ボクは、ホモなのかと悩んだ事もある。友達の中里等と遊んでいる方が女性と話すよりも楽しかった。またボク自身も女性とお付き合いをしたことも無かった。でもたまには風俗に行ったりしたから。