お正月から1月末まで

お正月から月末まで

 


息子の慶一が言った。お爺さん!やっと里菜の住所がわかった。すぐに行ってくる。お爺さんが言った。よくわかったなあー。と言った。慶一はやっぱり父親だよ。住所は川越市今成町だ。慶一は財布を見た。数万円あった。でも高速道路を使わずに。国道254を走った。久しぶりに埼玉県でした。昔。慶一は城西大学に通っていた頃は。毎日見慣れた道路でした。50年前も今も道路そのものは変わってない。越生町から毛呂山町を通って坂戸市に着いた。街の真ん中は混んでて。失敗したと思った。これならば。日高町まで行ってから日高川越線の道路を走れば良かったと思った。入間川手前にガストで休憩した。スマホのナビゲーションの使い過ぎで充電しないといけなくなる。そこから西川越市は直ぐでした。入間川を渡った。田んぼがあり。回りは農家が多く。どちらかというと侘しい感じでした。西武線東武線が2本並行に走っていた。そういえば。夏頃。娘の後を電車に乗って。後をつけた。そしたら西川越駅で降りた。その時は行方がわからなくなる。駅は小さく。それにしても。辺鄙な町。何にもない。そんな印象でした。 こんなところに5年間も置いて気ぼりにしてしまったことを悔やんだ。里菜!!悪かった!さぞ。つまらなかっただろうに。家に帰りたくなったら。すぐに帰ってきてくれた方がよかった。娘はまだ子どもだった。慶一は娘が家を出た日を覚えていた。なぜか?里菜は大喜びしていた。それが。だんだんと歳を重ねるたびに。顔から笑顔がなくなり。もともと太り気味だったのが。骨ばかり痩せてしまった。あんまり食べてないようでした。そんなことを思い出したりしながら。やっとアパートが見つかった。3階建ての301でした。長い時間。アパートの駐車場にクルマを止めて待っていた。寒くなるとすぐ近くにあるファミリーマートでコーヒーを飲んだ。そしたらうまかった。またアパートに行った。確か夕方の5時から8時まで待っていた。周りの地形を調べたり。どこかそこらにご飯でも食べるところがあって寄ることもあるかと思って見渡した。何にもない。駅の反対側に喫茶店がある。そこならば里菜が寄りそうかなぁと思った。里菜がまだ元気だから。それだけが嬉しい。その日は会えませんでした。でもその日は寒い日で北風が強く吹いていた。クルマの中で凍えていた。時々隣や真下のアパートの出入りがあった。また。迷子にならない程度に近所をクルマで流した。あまり楽しい場所ではなかった。悪いことをしてしまった。妻は帰って来い!!と言ったとか。高崎市にアパート借りてくれた方がよくないか?とか娘に言ったらしいが。娘が言うことを聞かないらしい。その辺の娘の気持ちはわからない。その日は夜の8時に家に帰った。そしてお爺さんに里菜のアパートに行ってきたよ!と話した。ポストにジャニーズのファンレターの葉書が届いていたから。もらってきた。確かに里菜が住んでいるよ。と言った。その後。慶一とお爺さんはまた。激論になった。それというのも。川越市の隣り町。ふじみ野に行かせたのは。お爺さんでした。その頃。慶一の家は貧乏でした。里菜が卒業したらすぐに就職してもらわないと里菜の奨学金の返済が始まる。それなので慌てて就職させてしまった。その時。お爺さんが専門学校まで行って。ふじみ野の介護施設を探してきてしまった。慶一は里菜を藤岡総合病院の理学療法士にさせたかった。それなのに。そんな遠くに行かせてしまったことを。お爺さんに詰問した。そしてその結果。里菜をこんな可哀想な思いをさせた!!慶一はカンカンに怒った。それは。お爺さんの悪い癖でした。なんでも働けば良い!!そしてお金さえ持ってくればイイ。里菜の未来とか。また。悪い男性に騙されるとか。そんなことを心配もしない。また。その後。娘の里菜が住所や働いている会社を隠してしまった。だからますます縁遠くなる。里菜は。慶一といっしょに生活している時は。「わたしは早く結婚するの!そして赤ちゃんを産むの!!25歳まで結婚するわ!!」とそればかり話していた。里菜は普通の女の子よりもませていた。年齢も同級生よりも歳上に見えた。また。身長も高くて痩せていた。そのせいか。歳上の男性が好きらしい。里菜は?同じ歳の男性は駄目なの?話しが合わないの?と変なことを話していた。また。こんなことも言った。「里菜は子どもの頃は可愛かった!!」とそればかり話した。今でも美人だよーとこころの中で思った。里菜の外見がちょっとだけ変わった。コートが黒になった。それは。なんか。暗い人生をじっと耐えているかのように見えた。また女の子だから容色が衰えた。気の毒だと思う。妻は大馬鹿だ!!里菜も大馬鹿だ!!年配者はよく知っている。実は。家族仲良く一緒にいる事がもっとも幸せなんだよ!!とこころの中で叫んだ!!

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

娘がお正月に来た!!父親の僕には似てない。ほんとうは寂しがり屋なのに。何故か?母親思い。母親に楽をさせることを本気で考えている。里菜が頑張るから💪💪。里菜がマンション買って母親を呼んで。母親に働かせないで。里菜が頑張るそればかり話していた。そんな娘がお正月に来ました。でもそんなことを本気考えても。世の中そんなにあまくないと話した。新築のマンションは値段が高い。ローンを組めば。毎月の支払いもあるし。大変になる。少しは貯金もしないといけない。全額ローンは。ちょっとだけ危ないと話した。そんな自慢の娘でもある。それでも怖がりだから。ワクチンは打たない。副作用が怖いからと。昔から怖がりなのに。何故か?群馬県から埼玉県川越市今成町にアパート借りてひとり暮らしを始めた。もう専門学校卒業したから。ある程度は食べていけるから。それでも心配は心配。お爺さんがよし!!俺が藤岡市議会議員の〇〇に話して。今度は藤岡市の病院で働くように。聴いてやるよ?ともう遅いと思うけど。そんな話しをしていた。

 


娘がお正月帰って来た。まだ25歳なので。まだこれから間に合う。いろいろなことがあるし。なんとか。あと2年か3年は大丈夫かな。女の子は30歳を過ぎると。結婚出来ないから。それなので。実の妹に誰か良い人がいないか聞いてみた。そしたら明日。お年賀に家に来るから。その時に話すという。

 

 

 

お正月に娘が家に遊びにきた。そう言えば去年は哀しい年でした。母親のお葬式がお正月だった。その前の年も。そんなに楽しい思い出がない。その前の年もない。やはり上の娘が家から出てしまったから。家族にポッカリと穴が空いた。上の娘が僕の自慢の娘でもある。それはそうだろう。初めての子どもだし。物おじしない。サッパリと性格なところが。僕の家系にない性格なので。また身長も高く。身体も痩せている。娘はジャニーズの大ファンでもある。男性は格好良い人が好きらしい。また。休みの日は。好き勝手にひとり旅に行く。お金を稼いでいるせいか。入ってきたお金を全部使った。もちろんのこと。娘は娘。娘の好きにさせていた。今のこの時勢では。僕は。丈夫ならば良いと思っている。コロナ禍でワクチンを打って。あんまりワクチンが合わないで急死することもある様に見受けられる。でも。いろいろな思い出があるが。悪いことも多い?それでもなんとか上の娘が元気そうでなにより。ワクチンは打たないと自慢していた。だってひとり暮らしでワクチンでも打ったら危ないわ!と話していた。今年は。また家にきた。少しだけ明るいし。彼が出来たらしい。そんなことを母親から聞いたから。あのね!里菜に彼が出来て。家までクルマで来たよ!と話していた。写真も撮ったらしく。父親にそっと見せていた。お爺さんは訳がわからんが。それでも写真に若い男性が写っていたとか。やはり男性の陰が、チラチラしていた方が嬉しい。だって。都会の片隅でずっとひとりなのは哀しい。また哀れ。話し相手がいるだけで良いかと思う。ただいっしょにご飯を食べてくれる人がいるだけでも嬉しい。僕がいっしょに居られれば良いが父親は要らないらしい。でも情報が入らないから。何故か?下の娘がよく知っていて。里菜ちゃんに彼が出来来たよ!と話していた。やはり僕や父親には言わないが兄弟の下の娘には喋っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

家族揃って。東京ディズニーランドに行きました。

もう。20年も前。まだ。本庄早稲田駅が出来たばかりで駐車場が無料でした。クルマで藤岡市から本庄市まで行き。新幹線に乗って東京ディズニーランドに行った。二人の娘は喜んだ。帰りには本庄インターチェンジ近くのカッパ寿司に行った。またカレーのCoCo壱の時もあった。それらも楽しい思い出です。そんな楽しい思い出も。今は無くなった。それが一番辛い。上の女の子は恥ずかしがらない性格なので。よく一緒にお風呂に入った。また。旅館に泊まっても食堂まで。スッポンポンの裸で飛び回った。まわりの大人があれあれと驚いた。また。たまには。日帰り温泉に行った。そんな時も平気で女風呂から男風呂に飛んできた。もうその女の子が大きくなって。アパートでひとり暮らしをしている。父親の僕は。そっとアパートを眺めた。娘は旅行好きらしい。どこか遠くにひとり旅に行くのが趣味なんです。そして温泉に入ってくるらしい。携帯電話の待ち受けは。いつも鄙びた温泉のお風呂。そして。猫を飼っている。誰か好きな人が出来たら良いと思うが。この時勢だから。なかなか見つからないらしい。でも娘は家に戻らない。どうしてかというと。やっぱり娘も家族が持ちたい。いつまでも僕や母親と旅行するよりも。彼が欲しいからだろう。

 


いっしょに暮らすわけにはいかないし。女の子のひとり暮らしは気の毒で。それでいて。パパは絶対に来ないでと念を押される始末。東京ディズニーランドへいくと必ず雨が降る。家族揃って。ミッキーマウスのカッパを買って記念写真を撮りました。僕は雨が降るし。また仕事疲れの寝不足もあり。子どものように楽しめ無かった。それでも我が家が必ず。ディズニーランドへ行くと。ハウス食品のカレー屋さんに寄った。シンデレラ城の後ろで。it'ssmall worldのアトラクションの前にあり。値段も安くて。カレーが600円だったから。毎回毎回我が家の定番でした。それがもう行くことがない。寂しくて寂しくて。涙が止まらない。

 


今年のお正月に来ました。仕事が介護施設理学療法士なので。1月2日には帰った。結婚はしてないが。少しは男性との出会いらしいものもぼちぼちあるが。この時勢で男性に稼ぎがなくて結婚もままならないらしい。それでも母親と下の娘と上の娘の3人で。スズランや高島屋に福袋を買いに出かけた。

そんな僕や母親を慰めるためなのか。彼がいるよ!筑波大学だよとか。学習院大学だよ!と。まったく

出鱈目の話をしたり。それに僕や母親が毎回一喜一憂する始末。また。そんなことあるわけないよー。だって我が娘は。まるで馬鹿だし。そんな大学卒業した男性がいるわけないし。いても。騙されているような節があるし。でも今年のお正月は哀しそうな顔をしていた。親には分かる。親は娘をちょっとだけ見ると。ほんとうに悲しそうでした。なんとか出来ないかと思っているが。クルマの中で。誰が娘と結婚してくれないか?そんなことを考えていた。でもまだ間に合う。諦めない。必ず。良い彼が現れる。そして僕が東京ディズニーランドに家族揃って行ったように。娘も家族が出来ると思う。また家族が出来てくれないと困る。やはり幸福とはなんだろう?と思うと。家族団欒だと思う。家族揃って。クリスマスケーキが食べたいよう!また。ピザーラでクリスマスにピザ🍕を取って食べたいよう!僕が定年になり。仕事も無くなり。年金暮らしをするようになると。家族がバラバラになってしまった。ただ下の娘が去年から城西大学薬学部に通い始めた。下の娘は大学生活が楽しくて楽しくてそれはそれはいつもニコニコするようになってきたこと。下の娘は。勉強好きなんです。頭は良くないけど。ただ本を読むのが好きなんです。それが少しだけ今年の良かったことなんです。僕の思いは。やはり家族は。朝ご飯を食べて。行ってくるよ!と言って。夕方になったら。また家族みんな揃って夕飯を食べることだと思う。その繰り返しがもっとも尊い!贅沢なんか要らない。僕の楽しかったことは。みんな揃って。お切り込みうどんを食べたこと。お婆さんがいて。お母ちゃんがいて。兄弟がいた時なんです。家族はバラバラになると。悪いことばかり起きる。バラバラになってはいけない。また思い出ばかり浮かぶ。そういえ。お母ちゃんが居ない。お母ちゃんは毎日毎日。お切り込みうどんを作ってくれた。さつま揚げが大好きだから。慶一のお椀には。いっぱいさつま揚げを入れてくれた。それを父親がとると。お母ちゃんはこれは。慶一に買ってきたの!と怒った。そんな母親も居ない。

そんな気の強い

 


里菜が死んでしまうから。という妻の言葉だけが頭に強く残っていた。冬は寒い。里菜はひとり暮らし。仕事から帰って来れば。疲れてしまう。誰も居ない部屋でどれだけ長い時間過ごしたのだろうか?それを考えると不憫で仕方がない。やっと夢がかなったのだから。彼が出来た。彼が部屋に来てくれた。寂しくて死んでしまうような。そんな時に彼が一緒にいてくれれば安心できる。里菜は彼といる時が一番楽しいのだから。そんな楽しい時間は少ない。人生は短い。特に楽しい時間は少ない。二人の邪魔をしたりしない。今が一番楽しい時間なのだから。仲良くしていてね!パパは何にも言わない。二人で一緒に楽しくしてくれるだけでいいよ。藤岡市に戻るとか桶川市にお嫁に行くとか。川越市にそのまま住むとか。それは二人で相談して決めればいいよ。お爺さんもパパはもう先が無いから。マンションが買いたければ。お金も出してあげる。でも質素が良ければ。アパート住まいもよし。必要ならば僕のあるゆるものなんでもあげるよ。里菜は僕の宝なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


里菜は頭が悪い。それでも高校を卒業してから専門学校に通った。その頃は。僕自身がどん底でした。サラリーマンの55歳過ぎなど。仕事もない。警備員したり。草津温泉で下働きをしていた。娘の奨学金もやっと借りた。その借金もありました。だから

 


何もしてやれなかった。その数年前に僕は藤岡市議会議員選挙に出た。その時当選していたら。もっと変わっていた。その時はガッカリした。また。なんとか家族を立て直しも出来た。その頃から徐々に家庭が悪くなった。それでも娘は頑張っていた。専門学校も卒業した。そして就職の時でした。僕は何にもお手伝いが出来なかった。それは申し訳なく思っている。それでも。里菜は就職が出来た。その時は。こんなものか?

と思った。ちょっとだけ安易に考えていた。これがあとあと。尾を引いた。娘は。埼玉県ふじみ野の会合施設で働き始めた。その時。何故か?手を離した。娘はその後。群馬に戻らなくなってしまった。ふじみ野の隣り街は川越市でした。都会化されていた。娘はその場所が気に入った。それも困りもの。連絡もしなくなった。アパートも値段が高いところに引っ越した。それでも娘の様子は真面目だから。あんまりお化粧もしないし。介護施設を行ったり来たりしているのだろう。と思った。母親が連絡を頻繁にしていた。だから尚更安心した。それでも気がかりになった。でも。アパートも教えない。職場も教えない。まったく。家族から逃げるように消えた。でも。何にも無いのは無事の印だと思って。なるべく考えないようにしていた。ただ。

里菜が就職で来たときは。里菜は大喜びしていた。あの時が里菜が一番綺麗だった。里菜は嬉しい時は。身体全体で喜びを表現した。だから。尚更。安心した。またあんな里菜にもうとうぶんのあいだ会えなくなることに。寂しさを感じた。でも。家から逃げるように出て行った。そのあとは。滅多に帰らない。里菜に会えなくなっていった。それからもう5年間経つ。娘は徐々に明るさをなくしていった。顔は。伏せるようになった。声はキンキンと激しさを増した。仕事が辛いからだろう。それでも。群馬県に戻らない。こっちからも会えない。どうしたら良いのかわからない。だから。警察署に相談にも行った。しかしながら。警察署はプライバシー侵害に当たるから。これ以上個人の問題には立ち入らない。と言われた。お爺さんと父親は呆然とした。ただ。僕は娘が目の前で不幸になるのを見ていられない。なんとかしてやりたい!!娘は。人生の失敗をあえてしていた。僕たち。目上の人達は再三この失敗をくり返えしていた。親の言うことを聞かない。それは。本人の自己判断かもしれない。でもそれは危ないよ。人生は危険に満ちている。だから父親やお爺さんの言うことも聞くことだと思う。それなのに。なんでもひとりでできると思っているが。まずはそれは無理だと思う。だからまだ。25歳なのだから。なんとか群馬に連れ帰りたい!できたら高崎市の病院に働いてもらいたい。その方がみんなが安心する。それが娘にはわからない。都会は。そんなに生きやすくない。都会は厳しい。都会はお金がないと何にもできない。今日はお爺さんと話をした。そしたら。里菜が嬉しそうにしていたから。良かった!!それだけ言った。それにしても娘は頑固でした。どうしてこんなに頑固なのかわからない。帰って来なさい!!と言うと。群馬はつまらない。何にもない。それは気持ちはわかる。突然に。群馬に戻れば。仲良しの友達からも離れて。人間関係がゼロになる。また一からやり直しするのが辛いと言う。それもわかる。最初から仕事はしないで数年間は遊んでいてもいいよとは言っている。

里菜には相手の彼がいるらしい。が。僕はそんなに期待してない。だって。里菜が気が弱くなっていた時に知り合ったから。それは。危ないよ!人間関係は切磋琢磨した時に出会う。最高の友達の中で出会うこと。そうしないと。相手が分からない。どんな友達がいて。その中でどんな立ち位置なのか?それを判断材料にすること。それなのにこっちにはスキがありすぎて。相手の思うままになるよ。いいクルマとか。見た目だけとか。弱さにつけ込まれたら。娘は簡単に落とせる。また。綺麗事が多すぎて怖い。筑波大学卒業だと言う。数ヶ月後は学習院大学という。それは愛子様裕仁様の学校だろう。そしてコンピューター関係だと言う。身綺麗なのも不快である。僕は。いつもワークマンのズボンやワークマンのコートを着ているから。また30代から40代の時も。UNIQLOしか着ない。だって。贅沢な服装している男性が僕自身が嫌いだから。服なんて汚いものを身につけている男性が僕は好き。

 

 

 

鎌倉に海水浴に行った。里菜が小学生でももかは幼稚園ぐらいだった。里菜は旅行が大好きでした。特に温泉に入るのが大好きでした。その日も鎌倉の材木座近くのホテルに泊まった。毎年同じホテルに泊まった。料理もおいしいし。それに会社の寮なので。家族的でした。里菜はもう小学生なのに。お風呂から飛び出して。食堂まで。裸で飛んできた。周りのお客様が驚いた。あれー?そんなことは気になれない。里菜は嬉しいと。裸で飛んで回った。また。連れて来てね!と繰り返した。

 

 

 

娘は親の言う事を聞かなくなった。僕は娘の部屋の前まで行きました。そしてドアを開けた。外は寒い風が強く吹いていた。里菜が元気そうでなにより。それも彼が一緒だから。有頂天になっていた。里菜の声でわかった。里菜があんなに嬉しそうな姿を見たのが一番嬉しかつた。だって。ずっとひとりぼっちだったのだから。部屋に彼が来てくれただけで。嬉しくって嬉しくって。まるでDr.スランプあられちゃんになっていた。慶ちゃんがきた!!と驚いていた。今までは。辛いのをじっと我慢していたから。そのはずみで。嬉しいのだろう!!周りは新婚さんなどの家族大勢で住んでいるアパートだから。尚更。ひとり暮らしは辛かっただろう。我慢しないで群馬に戻って来れば良かったのに。でも明るい部屋でカーテンも明るい黄色なのも。親としては嬉しい。

 


娘が嬉しげでした。だから安心した。娘の声が弾んでいた。部屋が明るいから。外から見たら。幸福感がありました。ドアの外から中を覗くと。子どもの頃の娘がいた。娘は辛い時は。声のトーンが下がる。じっと辛さに耐えていた。でも少しでも明るくなると。急に嬉しげにはしゃぐ。今日ははしゃいでいた。まるで幼稚園児のように見える。それはそうだろう。僕の知っている娘は。まだ幼稚園児の時だから。部屋はカーテンの反射で黄色くなっていた。室内は綺麗。靴も綺麗。外には新車のHONDAが置いてある。なんでも楽しければ良い!!そう思った。娘が嬉しげで良かった。それが何よりも嬉しい。娘がたった一人ならば悲し過ぎて。そしたら家に連れ帰るつもりだった。でも嬉しげなので。ホットした。娘は急に老けた。まだ25歳なのに。介護施設で働くと。やっぱりたいへんなのだろう!たとえば。身体付きとか。ちょっとだけ骨っぽくなっていた。でも今日はそんなことはない。歳が離れていても気にしてないから良かった。

 

 

 

 


僕の脳みその中には。まだ娘は2歳ぐらい。そのイメージがある。ご飯を食べているのは。食卓に準備した子ども用の椅子。その上に乗っかって。ご飯を食べていた。テレビ漫画が大好きで。ポケモンばかり観ていた。楽しいことが好きなので。温泉に泊まりに行くと大喜びした。だからそんな喜びがずっと続いてくれることが父親の願いだ。寂しくて寂しくてアパートで泣いているのでないから。ホットとした。アパートは大きい部屋だから。周りの住民も新婚さんや家庭持ちが多い。そんなアパートでひとりぼっちならば可哀想だと思う。それが彼が一緒にいてくれて。親としてはホットとしている。

 

 

 

里菜が死んじゃうよ!!と由紀子が言った。だから里菜をそっとしておいて!里菜はやっと彼が出来たの!里菜の部屋に彼が来てくれた。里菜はそれが一番嬉しい。だから。いつまでも仲良くしていてもらいたい。と妻の由紀子がいう。僕もそうだなぁと思った。里菜をたったひとりで長い時間。孤独にさせてしまった。それも5年間も。それが悔やまれる。それでも。まだ里菜は25歳だから。これから。楽しいことがいっぱいあるだろう。僕は。里菜が一日中働いてたったひとりの部屋で長い時間を過ごさせてしまって。ほんとうに申し訳なく思っている。だから彼がやっと出来たので。僕は。それでも少しは嬉しく思う。でも父親なので。どうしているか?僕は。里菜の部屋まで尋ねた。そしたら。ドアに鍵がかかって無かった。ドアを開けた。そしたら。里菜が居ました。いつもいっしょに居た里菜が。川越市のアパートな一室にいることに。ちょっとだけ戸惑う。なんでここなの。と思った。でもさ。里菜が。声だけですが。ほんとうに嬉しそうな声が聞こえてきた。あー!そして。近くに男性の気配がありました。里菜は。まるで赤ん坊のような声で。けいちゃんがきた!!なんでドアの鍵を閉めなかったの!と言った。でもその声は。はしゃいでいました。里菜は彼が。同じアパートにきてくれたから。嬉しくって!嬉しくって。子どものように。明かるい感じがした。僕は。良かった!良かった!そしてその子どもの明かるい声だけで。僕は。結婚させないと。里菜が可哀想に思った。そして。里菜をこんなに喜ばせてくれる男性に感謝した。

 

 

僕の知っている娘は。まだ。2歳か3歳なのに。いつのまにか25歳になり。社会の辛さを真正面から受けてる。そんな現場ではなくても良いのに。それもこれも僕の責任である。悪いことしてしまった。何にも助言も出来ず。あー行ってきなさい!と許した。

 


しかしながら

娘が嬉しげでした。だから安心した。娘の声が弾んでいた。部屋が明るいから。外から見たら。幸福感がありました。ドアの外から中を覗くと。子どもの頃の娘がいた。

 


娘は辛い時は。声のトーンが下がる。じっと辛さに耐えていた。でも泣き言も言わない。でも少しでも明るくなると。急に嬉しげにはしゃぐ。今日は子ども時代のようにはしゃいでいた。まるで幼稚園児。Dr.スランプアラレちゃんの雰囲気を出していた。だってアパートの部屋の中に男性が来てくれたのだから。それは嬉しいだろう。僕の娘が好きで来たのだから。

 


それはそうだろう。僕の知っている娘は。まだ幼稚園児の時だから。部屋はカーテンの反射で黄色くなっていた。室内は綺麗。靴も綺麗。彼の靴もある。外には新車の白いHONDAのRVが置いてある。あのクルマは300万円はする。僕はなんでも楽しければ良い!!そう思った。娘が嬉しげで良かった。それが何よりも嬉しい。娘が部屋にたった一人ならば悲し過ぎて。悲しげならば。そしたら家に連れ帰るつもりだった。でも嬉しげなので。ホットした。娘は急に老けた。まだ25歳なのに。老人福祉介護施設で働くと。やっぱりたいへんなのだろう!たとえば。身体付きとか。ちょっとだけ骨っぽくなっていた。でも今日はそんなことはない。相手と歳が離れていても気にしてない。だから良かった。

 


僕の脳みその中には。まだ娘は2歳ぐらい。そのイメージがある。ご飯を食べているのは。食卓に準備した子ども用の椅子。その上に乗っかって。ご飯を食べていた。テレビ漫画が大好きで。ポケモンばかり観ていた。楽しいことが好きなので。温泉に泊まりに行くと大喜びした。だからそんな喜びがずっと続いてくれることが父親の願いだ。寂しくて寂しくてアパートで泣いているのでないから。ホットとした。アパートは大きい部屋だから。周りの住民も新婚さんや家庭持ちが多い。そんなアパートでひとりぼっちならば可哀想だと思う。それが彼が一緒にいてくれて。親としてはホットとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


親や娘を見ると。その時どんな気持ちなのか?すぐにわかる。まだ決断して良いのかどうか。お爺さんや父親に話すべきか?これからどうしようか?それでも娘は。たぶんですが。別れたりしないと思う。やっと彼が出来たのだから。その間。何年も。たったひとりだったのだから。また。孤独感に襲われたらどうしようかと思うだろう。それなので。必死になっている。また。娘は。ちょっと見ただけど。ほんとうに嬉しげでした。あんなに嬉しげなのも珍しいぐらい。嬉しげでした。親としては。家に連れ帰るつもりだった。でも娘が今。群馬県に戻ると。今度は。友達が無くなる。今まで何年も。川越市で頑張っていたのが無駄になる。だから帰らないと言う。母親も心配していたが。娘が帰らないと言えば。許してしまったのだろう。

 

 

 


娘がお正月に来た!!父親の僕には似てない。ほんとうは寂しがり屋なのに。何故か?母親思い。母親に楽をさせることを本気で考えている。里菜が頑張るから💪💪。里菜がマンション買って母親を呼んで。母親に働かせないで。里菜が頑張るそればかり話していた。そんな娘がお正月に来ました。でもそんなことを本気考えても。世の中そんなにあまくないと話した。新築のマンションは値段が高い。ローンを組めば。毎月の支払いもあるし。大変になる。少しは貯金もしないといけない。全額ローンは。ちょっとだけ危ないと話した。そんな自慢の娘でもある。それでも怖がりだから。ワクチンは打たない。副作用が怖いからと。昔から怖がりなのに。何故か?群馬県から埼玉県川越市今成町にアパート借りてひとり暮らしを始めた。もう専門学校卒業したから。ある程度は食べていけるから。それでも心配は心配。お爺さんがよし!!俺が藤岡市議会議員の〇〇に話して。今度は藤岡市の病院で働くように。聴いてやるよ?ともう遅いと思うけど。そんな話しをしていた。

テニスの思い出!!最終回

1990年代はスキーブームでした。慶一の仲の良い中里とテニスクラブの小暮さんがいっしょにスキーに行ったらしい。どこで知り合ったのか?それは。意外な組み合わせだと思った。あとで中里に聞いたら。青少年センターの料理教室。中里は男性なのに女性がいっぱいいて花嫁修行の女性に混じってクリスマスケーキ作りに参加していた。そこで神流支店金融係で下戸塚の中山さんと知り合いになったらしい。小暮さんのTOYOTAマークⅡにはJA神流支所の中山さんがいた。もうひとりの女性がいたらしいがその女性は知らない。女性2人と男性2人。たぶん苗場スキー場だと思う。中里が派手好きだから。ユーミンの「スキー天国サーファー天国」をよく聴いていたし。慶一はスキーが苦手。どうも楽しくない。それなのでスキー道具を持ってはいたが。中里に誘われても拒否していた。職場では。スキー大好きの中山さんはスキーをしない男性は嫌いだ!!と遠回しに慶一を非難していた。口うるさい女性だった。それに慶一のJA生命保険の勧誘成績が悪いことも職場で話していたらしい。それなのに慶一が農協の仕事をサボってテニスクラブに通っていることも何故か?気にしていた。たぶんテニスクラブに好きな女性がいるのだろう!とだからあんなに毎晩とテニスばかりしているのだろう!と職場で言われた。慶一は中山さんを気が強くて口うるさいと思っていた。でも。慶一は中山さんと同じ神流支所で働いていたら。どうなったかわからない。慶一はおとなしくてM系の男子なので。慶一は気が強い女性が大好きでした。慶一はおとなしい女性は一番嫌いなタイプでしたから。また中山さんは芸能人の中山ビデちゃんの身内でした。だから藤岡市では中山一族を知らない人がいなかった。でも慶一は平井支所だから。まず会うことも無かった。それに慶一はスキーがいくらやっても好きにならないのだから仕方がない。それは農協の橋本くんからも言われていた。また中里からはスキーをしないと結婚できない!!と言われた。


冬場だった。寒い日でも。白い上下ヨネックスのウェアーを着てテニスクラブに毎晩通った。ある日。テニスクラブの叔母さんに言われた。新井さんは二股かけているの?と。まさかウチの娘と中山さんの天秤かけているのだろう!と言われた。山口先生からは。新井慶一はだらしのない人間だ!!と言われた。あっちこっちに女性にちょっかい出しているふざけた男性である。と言われた。でも慶一は何にもしてないし。二股かけているなんて!僕がそんなにプレイボーイではないよ!と思った。その頃から徐々にテニスクラブでの立ち位置が悪くなった。どうしてこういうふうに慶一を悪い方に悪い方に向かわせるのか?誰か。山口先生の奥さんに新井さんが二股かけているよ!と告げ口でもしたらしい。それはまいった。してないのにしていると言われるくらい辛いものは無かった。だって慶一は繰り返し言うけど。女性とデートもしたことが無かった。


その頃だと思う。陶芸家の本多君が。山口先生の娘さんの彼がテニスクラブで叔母さんと話していたよ!と言った。その男性は礼儀正しく背が高くて色白で営業マン風と言っていた。陶芸家の本多君もA子さんが好きだったらしいから。ちょとだけ。ガッカリしていた。慶一は目の前真っ暗になった。恥ずかしさで穴があったら入りたくなった。テニスクラブの叔母さんのお気に入りは藤岡市神田の小暮さんでした。その小暮さんは叔母さんの娘さんのA子さんが一番苦手だと言っていたし。叔母さんから慶一は二股かけていると言われるし。藤岡市小野の縫島さんからは先生の娘を好きになるのは。「 新井さん!おこがましいよ!!」と忠告されたし。やめなさい!!と暗に言われた。ここではっきりと言います。中山さんとは。デートもしてないし。話しもしてないし。何にもない。確か農協のスキー同好会でみつまた・かぐらスキー場でいっしょになったことがあるぐらい。中山さんはその年に結婚した。そしてそのあと少し経ってからテニスクラブの娘のA子さんが結婚した。その時。やっぱりテニスクラブの叔母さんの娘のA子さんが一番好きだったことがその時わかった。だいいち神流支所の中山さんが結婚した話しを聞いても。そんなに動揺もしなかったから。

僕の遺産相続  続々編

新井道雄に弟と妹がいました。弟は藤岡高等学校で成績が1番でした。群馬大学医学部を卒業して板橋区で開業医をしていた。村では今のところ。もっとも頭が良い!と言われていた。まず。そっちに電話した。そしたら裁判したら!と言う。ずいぶんと無責任な話しでした。弁護士を入れると弁護士は1割は取られる。それは親戚の弁護士だろうが同じである。それが国の決まりでそのお金は国に収めることになっている。我が家は5000万円以上の財産がある。そうすると弁護士料だけで500万円の支払いがくる。そう話した。そしたらそれで決まりがつくならばそうしたらと言う。話しにならないと思った。それから。新井道雄の妹さんに電話した。玉村町の齋藤家に嫁に行っていた。そしたら玉村町でも隣り近所でそういう話しがよくある。そしたら玉村町は農地を兄弟で分割相続するそうだ!!そして玉村町は農業後継者が居るけど。みんな農繁期は夢中になって働くけどそれを過ぎて冬場の農閑期になると働きに出ている。土方に行ったり。そうしないと農家は食べていけないから。「 慶ちゃんも家で年金暮らしをしないで。どこかに働きに出たら!」と言われた。だから。そうだ!そうしようと思った。「そして相続のことは棚上げしてどこかに働きに行けば良い。そして相続はとりあえずやらないでおいたらと言われた。」そうしようと思った。確かに相続は期限が決められて居るけど。絶対にしなければいけないものでもないらしい。市役所としては固定資産税を払っていれば問題はないらしい。その話しで決まりとなった。すぐに板橋区の弟さんに電話をして。新井家の相続は棚上げすることに決まったと言った。それは玉村町の齋藤さんの考えだから。そしたら。そんなことをしないで。さっさと裁判した方がいいと言った。でもAは村の笑い者になるから。裁判はしないよ!と話した。それに群馬県藤岡市は田畑の分割相続禁止になっているから。と話した。そう!残念だねー!と言っていた。

 

 

 

Aは誰とでも話しをする。小澤さんに道端で会った。道普請で話しをしたら。よく話すのでそれ以来懇意にしていた。そうだ!!相続争いの話しをしてみようと思った。そしたらやはり同じような話しになった。農家の田畑の相続は難しい。村の中でも相続したくても兄弟が行方不明になっていたり。そうすると実印がもらえない。そういう家がいっぱいある。兄弟が仲が悪いと言うのではなく。村に居ても食べていけないからどこか遠くに出てしまった家があるから。相続したくてもできない家がある。でも先に伸ばすとますます難しくなるけど。慶ちゃんの家は新井道雄の兄弟が財産放棄して居るから。そのあとの代にしてもそんなに難しくないと思うと言われた。代が変わって相続すれば。実印代金として。最低でも100万円を払えば済むから。財産放棄するならば。100万円以下では駄目だよと念を押されました。それは安い。そうしようと思った。代が変わった。実印代金100万円を支払って終わりにしようと思った。

 

僕の遺産相続 続編

およそ20年前に戻ります。その当時はAは読売新聞の印刷所で徹夜で働いていた。モーツァルトが大好きで。県内の図書館にモーツァルトのCDを借りまくった。カセットテープに録音して聴いた。仕事休みはモーツァルトを聴いて過ごしてきた。結婚もしていて長女も産まれた。仕事は辛いけど結婚して妻や子どもを養うためには仕方がないと思った。そのまま60歳まで働くつもりでした。ダイアナ妃のパリで交通事故死の号外を出し。ニューヨークマンハッタンの世界貿易センタービルジェット機が突っ込んだ。なんとなく不穏な空気が流れていた。しかしAは幸福の絶頂期でした。社会で起きることは個人には無縁だと思っていた。ある日。その幸福感が消え去ることになるとは。考えてはいたが現実になった。最初は。Aの弟の嫁さんが出産時に死んだ。それはショックでした。家族で埼玉県の病院に行った。まさかと思った。Aの家に最初に嫁さんがきた時は。ほがらかで明るくてよく話す女の子だなぁと思った。でもちょっとだけ太り過ぎたと思った。その次に会った時はいつだか忘れた。でも。今は週末婚しているの!!わたしは仕事が熊谷市役所で保健婦が忙しいし。Bは柏の市役所だから。遠距離結婚みたいだよ!と嬉しげに話していた。その次の年に妊娠して子どもが産まれるとの話しを聞いた。父親も母親も喜んだ。父親は植木のハナミズキを大量に買い付けて。これで大儲けすることにすると嬉しげに話した。たぶんもう。父親は70歳になっていただろう。大型の4トン車を中古で買って。植木屋を本気で始めた。でも儲かることはなく。やはり米麦の収入が植木屋に回って。なんとか生活していた。父親は孫が出来るのがそれはそれは楽しみにしていた。だから余計に働いた。お金にならないのに働いて子どもにお金をなるの生き甲斐だった。父親は悔やんでいた!!弟の嫁さんが出産時に死ぬとは思ってなかった。だから埼玉県の病院に行った帰りに。「S子を高崎市の佐藤病院に連れてくれば良かった!!」と繰り返し話した。またAは相手の両親にもガッカリした。娘が妊娠中で不安ならば。なんとかしてやれば良いのに。相手の両親は市役所に行っていた。だからS子ひとりで悩んでいたのだろう!弟も妊娠とは何か知らなかった。弟の嫁さんが死んだ!!嫁さんの実の父親は。「 S子!!夕飯だよ!と声をかけていた。」娘はまだ生きがあったから。ちょっとだけ口を開けた。父親はベットの打ち伏して泣いていた。それは酷い光景だった。弟は周りに人がいるの構わずに大声で泣いていた。まだS子は30歳あまり。S子の同級生が話していた。「これからやっと幸せになるところだったのに!」S子の母親は気丈だった。それでも。涙をいっぱい溜めていた。出来れば子どもと一緒に公園まで行けたら良かったのに!と話した。それからは。その家はまるで死んだ家のようになっていたらしい。父親は哀しさのあまり昼間から酒ばかり飲んで数年後に死んだ!だから二人が死んだことになる。

 

僕の遺産相続

Aは吝嗇である。無駄なものが大嫌い。お金が出ていくことたびに神経が痛く響いてくる。たとえば毎月。読売新聞朝刊の集金が来るたびに腹がたった。チラシは部屋に散らかるし新聞そのものは片付けるのが面倒だった。Aは父親に言った。こんなくだらないものにお金出してどうするか?よく見ろ!半分はチラシ。またその半分はくだらない記事。まともに読めるのは3面の社説ぐらいだ!それに新聞記者は馬鹿だよ!東京大学の卒業生は新聞社に誰も入ってないよ!その前。家に来た新聞記者は明治大学卒業していて。話したら堂場瞬一先生の名前も知らないと言った!そんな馬鹿の書いたものにお金出してどうするのか!と難詰した。Aは第二次世界大戦の日本がアメリカ合衆国にボロ負けしたのは朝日新聞と読売新聞の責任であると信じていたから。嘘の記事を購読者を増やす目的で戦争を煽っていたことも調べて知っていた。なおさら新聞を否定していた。もっと早く事実を国民に知らせていればポツダム宣言を受け入れていただろうし、原爆投下はなかった。また昨今のコロナウイルスワクチンの出鱈目記事から。多くの国民に被害を出していたことにも新聞の影響があると思った。それに介護福祉施設は如何にも住みやすてまるで国が全面支援しているかのように書いていた。だって介護施設ぐらい。老人には辛く。介護士にも辛く。経営者にとっても借金で首が回らない。その事実を少しも書こうとしない。芸能人の浮気だけはよく書くけど。そんなもの書くことだと思ってないし。新聞は綺麗事しか書けないものなんだ!ほんとうのことを書きたくても書けない仕組みが出来ているから。だから新聞を読むと。個人の判断力や目の前に起きている事実を理解することを歪めてしまうから。新聞の購読料以上に個人に損害が出るよ!これからはYouTubeTikTokから社会を知る必要性がある。それはお金も安くて済むし。判断を見誤ることも無くなる!と話した。

そんな父親が亡くなった。母親も数年前に亡くなった。父親は財産をそのままにして死んだ。誰を相続にするかも決めていない。生前にAは相続について父親に口煩いほど話していた。しかしながら。へえーと言って取り合わなかった。俺は120歳まで生きているから相続なんか決めなくも良いと話していた。Aの家は大地主でした。田畑は3ヘクタールあり。自動車工場に隣接していた。そのうちの1ヘクタールが数年前に工業団地で売れて。群馬銀行に数千万円の貯金がありました。でも税金その他であっと言う間に半分くらい無くなった。それも辛い。Aには弟と妹がいた。弟は40年間。市役所勤務して退職していた。お金は退職金がゴッソリと入った。だから相続放棄することはなかった。息子をS医科大学に入学させていたからお金が必要だった。親戚中から物笑いなった。お金で私立の医学部に入学させて医者になっても偉くはない!またそんな医者はろくでなしだ!と話していた。弟は実家に来ると。相続を話しをした。妹も実家に来ると相続の話しをした。3人兄弟で財産権の争いをした。弟も妹も弁護士を入れて裁判所をすると言った。Aはガッカリした。だいいちに裁判所に訴えれば。それだけで財産の1割を弁護士事務所に取られる。それなのでAは、いろんなところに話しに出かけてた。まずは藤岡市役所の税務課に行く。そしたら。農地の分割相続禁止法が出来ていて。農地を持たない人には農地の相続が出来ない仕組みがありました。それでホットした。それはそうだろう。妹は群馬町。弟は千葉県に住んでいる。まさか。どのようにして相続した田畑を耕すのだろう!!近くの農家に安く転売するしかないけど。農地の売買は町の不動産屋に行くと。農地法違反になるから逮捕される可能性もある。それは実刑で罰金では済まないよ!と話した。知り合いの農家で捕まった人がいた。噂では。数年間も〇〇に入っていた。それさえ弟と妹も知らない。農地は藤岡市役所の農業委員会で市役所の職員立ち会いで売買することと決まっている。それを踏まえて弟は言っているのか?また農業後継者はAの名前で登録してある。それを弟に話したら。俺が藤岡市役所に行って。農業後継者の名前を変更するからと言った。馬鹿だ!!お前は市役所勤務していて公文書書き換えを個人でやれば。どうなるの知っているのか?農地の売買でさえ。刑務所なのに。公文書書き換えをやれば。それと同じ罪になるぞ!と言った。弟は気が狂っていた。だいいちに弟は市役所のトップまで登りつめて。まだそんな惨めな話しをしていた。

テニスの思い出 最終回

慶一は28歳まで暗い生活をしていた。趣味は読書と音楽鑑賞。仕事で得たお金は本やCDで終わった。ときどき。仕事仲間に誘われてパチンコ屋に行くことだけ。そのパチンコ屋さんで中里に会う。その頃読んでいたのは。釣りバカ日誌とまんだら屋の良太。全巻揃えて読んでいた。音楽はモダンジャスのセロニアス・モンク。中里とはその後10年間も高崎市までハンバーグを食べに行くようになった。それはうまかった。ご飯をかならず2杯食べた。食後の珈琲もうまかった。中里の友達が一緒にきていた。楽しく楽しくてその時間が終わらなければ良いと思った。毎週の恒例行事になっていた。場所はステーキのドン問屋町店。その仲間のひとりは数十年後には高崎市の高松中学校の校長先生になったと話しが伝わってきた。新井さん!!僕は離婚したばかりなんだ!!学校の先生と結婚した。でもすぐに別れたと話していた。そしたら数年後にはまた結婚していた。慶一は目まぐるしい人生だなぁ!!と思った。慶一は女性と話しもしたことがないし。当たり前だけど女性とデートもしたことがなかった。それなのに結婚したり離婚したりまた結婚したり。その話しをしたら中里は。良い男性はモテる。新井!!新井!駄目だ!だいいちに農協職員ならば誰も女性が相手もしない。農協は市役所の下請け会社だからだよ!!と僕に話した。女は男性の顔を比べたりしないよ!学歴と職業。また年収!!だからこそ髙橋先生は高崎高校卒業して早稲田大学教育学部卒業のインテリだから女性がチヤホヤするのだよ!!と説明してくれた。そうか!それが原因か?と思った。でも。もう慶一は30歳近くになっていたから。手の内ようが無かった。やっぱり早稲田大学卒業して学校の先生には敵わないものだ!!と痛感した。慶一は髙橋先生は気が弱くて映画好きなので話しが合う。いっしょにアメリカ映画のアダムスファミリーを観に行った。だから会えばまた仲良くなるかもしれませんが。その後。お付き合いはまったくしてない。

その頃。社会はバブル景気で浮ついていた。藤岡市にテニスクラブが出来た。硬式テニス界では超有名な中村博敏が農協のガソリンスタンドで。慶ちゃん。藤岡市にテニスクラブが出来るよ!!行ってみたら!藤岡高等学校の体育の先生をしていた山口先生が始めるからと言った。慶一はそれは面白いから行ってみるか?とこころの中で思った。そして軽トラックで近くに行って見た。何にもない。そこにいた叔母さんと話しをした。そしたら。会員になったらまたきてね!と言われた。たぶんですがその叔母さんは50代だったと思う。その叔母さんには2人の娘がいた。上の娘は背が高くて痩せていて。ハキハキしていた。名前はA子と言った。慶一は楽しみが出来た。JAの仕事はつまらなくて。嫌で嫌で仕方がなかった。だからなおさらテニスクラブに行くようになった。性格が明るくなった。ナイターテニスで走り回っていると仕事の悩みが消えた。またテニスが楽しくて。女性も忘れた。慶一は風俗通いをしていた。それがテニスクラブ入ったら。女性に興味が無くなって行った。叔母さんは慶一に女はもっと積極的で無ければ駄目だよ!!新井慶一さんは男性らしさがないから。女を奪い合いようなところも必要だよ!と話してくれた。

それが失敗だったと思う。スポーツというのは一生懸命にやると社会からずれてしまう。テニスクラブは少しずつ会員が増えていました。慶一は叔母さんの娘が好きだった。お付き合いはしてない。また。叔母さんの娘に立川さんが惚れていた。立川さんは吉野工業で働いていた。その頃は吉野工業の社員が大勢。テニスクラブの会員になっていた。中村くん!齋藤さん!大久保さん!土曜日や日曜日になると大勢集まった。叔母さんの娘のBは中村くんがそうとうに好きだった。と思う。でも叔母さんは一流の大学を卒業している男性が目当てなので。中村くんは叔母さんには眼中になげなのがわかって中村くんが気の毒に思った。確か中村くんは高崎工業高校の機械科出身だと思う。それで吉野工業製作所に入ったらしい。

その後。一年後か二年後に藤岡市神田の小暮さんがテニスクラブに入ってきた。仕事は測量士。小暮さんは白いTOYOTAマークⅡに乗っていた。その当時。一番人気のクルマでした。また小暮さんはお金がいっぱいあるような話しでした。小暮さんは叔母さんのお気に入りになった。小暮さんがうちの娘と結婚してくれたら良いのだけれどと言った。でも小暮さんは。俺は駄目なんだ!!ああいうハキハキした女性が一番苦手なんだよ!と話していた。だからその頃はまだA子さんの結婚は決まって無かったと思う。また小暮さんの友達が来た。藤の丘美夜之窯の陶芸家でした。またA子さんの女友達もきた。名前は忘れました。おとなしい感じの子でした。

選挙➓

やっぱり選挙公報に時間がかかりました。その他はすべて。書類審査終了した。それなのでホットした。そしたらそうだ!!選挙公報を見直ししようと思った。まずは腹ごしらえ。幸楽苑藤岡店でしょうゆラーメンの大盛りを食べた。うまい😋!!家族を連れてきたかった。店内の音楽も良かった。ちょうど夕飯時なので。混んでいた。
クルマで走った。倉賀野店は工事中でした。新前橋駅近くにある快活クラブ新前橋店で
選挙公報の書き直しをしてました!!ネットカフェが事務所なのでネットカフェのパソコンには保存してないから今回はCD💿を持って行った。内容の変更はないけど。公報の墨の色が薄い気がする。もっと墨を多くして太字にしてみるつもりでした。目立たないといけないから。新井慶一は立候補者兼選挙事務兼出納帳なんです。なんでもひとりでやってますから。仲間は数人なんです。これでいいのかなあと思った。でも今回は何故か?当選するような気がする。それはなんとなく空気が違う。今回は村の人たちも好意的だし。曹洞宗の檀家も応援してくれているような気がする。お坊さんから。嬉しそうに
出るだって!!と言われたから。だって藤岡市曹洞宗の本拠地なんです。行動!!行動!と口の中で反芻した。悩んだら行動すること!!これが慶一のスタンスです。
お店の受付でCDドライバーを借りて。CD💿ROMをセットし公報原稿を保存しました。
また。書き直しするかもしれないから。夕飯は。アンパンを近くのクスリのアオキで買って食べました。隣りはとりせんもある。でもその夜はアオキにした。慶一はアンパンが大好きでした。あと。みたらし団子。とか餡子の草餅とか。食べたり飲んだりコーヒーを飲んだりして。それが1番楽しい。やっぱり楽しく無ければ。選挙事務なんかやりません。慶一は事務が好きです。Canon印刷機で印刷をした。どこの快活クラブも同じ方法だから助かる。でもOfficeがある部屋とCanonコピー機が離れ過ぎていて歩くのが疲れた。行ったり来たりした。そしたらお金がなくなってきた。だって。コピーから紙が出てくるのが楽しいから。50枚くらいコピーした。ざっと1000円。それなので。いつも食べている夜食ラーメンが食べられなくなった。またハサミや糊を買ったりしたから。そのあと。原稿が書き上がったら。辞めた。もう12時過ぎになる。シャワー浴びて。烏龍茶を飲んで。朝がたまで。原稿を見たり。YouTubeを見たりしてました。そしたら寒くて。暖房が効いてない。それで帰りました。ちょっとだけお金があったのでセブンイレブンでBIGサイズのカップラーメンを買って食べました。不思議なんですが。セブンイレブンでクルマの中でカップラーメンを食べていたら。続々とクルマがセブンイレブン駐車場に入ってきた。翌日は印刷屋さんに電話して。ポスターの契約書をもらいに行った。
印刷屋さんは「頑張ってください!!」と言われた。やっぱり嬉しい!!応援してくれる人が少ないから。
ポスターの契約書は重要だから。すぐにカラーコピーした。そのあと。また家に帰ってきた。夜も寝ないで事務をして昼間からクルマで動くのが。辛いから。家で寝ていた。こんな生活は実は読売新聞群馬工場で慣れたもの。だってこんな生活を15年もしていました。夜働いて。昼間も働く。午後から昨夜書いた。公報のハサミで切ったり糊をつけて貼りこみした。〇〇からのメールを見たりした。〇〇とか□□とか。何故か?3月になったら長期旅行に行っているし。慶一ひとりでぜんぶやった。何にもないけど。忙しい。夕方には。上毛新聞から電話がありました。「ほんとうに出馬しますか?」と訊かれました。「出馬します!!」「 だって供託金も払ったしポスターも印刷終了したから。」と答えた。毎回毎回。上毛新聞は同じことを訊くから。だって出ると言ったら出る。男だから。だって逮捕されないだろう。慶一は過去2回も警察に逮捕されそうになっているから。少しぐらい気にしない。負けても気にしない。負けてもともとだから。だからコッソリ農業の関係も仕事をした。選挙の初日に第一声を行いますか?と訊かれたので。そんな面倒なことはやりませんと答えた。だって村は人がいないから。村からみんなどこかに行ってしまった。むかしの半分くらいしか人口が無くなった。事務とポスターだけ。だいいちその時間はたぶんポスター貼りが忙しい時間帯。ポスター貼りも貼らないと直接家に電話がくることもある。俺の家の近くが貼ってないよ!!と。そして。上毛新聞の記者が選挙公約の話しになりました。そしたら。上毛新聞社の記者は。だいたいわかりますと答えた。新井慶一のブログに書いてあるのを読んでくれてました。そのあと。相手陣営の情勢をスマホFacebookから入手した。
彼等が動いていることだけ分かった。ポスター大量張り込みチーム対スマホSNSチームの闘いの様相を呈していた。むかしながらの選挙が勝つか。それとも現代的な選挙が勝つか?そんな慶一の選挙事務所は快活クラブのパソコンだけ。むかしならば無理だった。でも毎日毎日。ネットカフェ料金が高くて。それでも選挙事務所を借りるよりも安い。ただみたいなもの。