僕の遺産相続 続編

およそ20年前に戻ります。その当時はAは読売新聞の印刷所で徹夜で働いていた。モーツァルトが大好きで。県内の図書館にモーツァルトのCDを借りまくった。カセットテープに録音して聴いた。仕事休みはモーツァルトを聴いて過ごしてきた。結婚もしていて長女も産まれた。仕事は辛いけど結婚して妻や子どもを養うためには仕方がないと思った。そのまま60歳まで働くつもりでした。ダイアナ妃のパリで交通事故死の号外を出し。ニューヨークマンハッタンの世界貿易センタービルジェット機が突っ込んだ。なんとなく不穏な空気が流れていた。しかしAは幸福の絶頂期でした。社会で起きることは個人には無縁だと思っていた。ある日。その幸福感が消え去ることになるとは。考えてはいたが現実になった。最初は。Aの弟の嫁さんが出産時に死んだ。それはショックでした。家族で埼玉県の病院に行った。まさかと思った。Aの家に最初に嫁さんがきた時は。ほがらかで明るくてよく話す女の子だなぁと思った。でもちょっとだけ太り過ぎたと思った。その次に会った時はいつだか忘れた。でも。今は週末婚しているの!!わたしは仕事が熊谷市役所で保健婦が忙しいし。Bは柏の市役所だから。遠距離結婚みたいだよ!と嬉しげに話していた。その次の年に妊娠して子どもが産まれるとの話しを聞いた。父親も母親も喜んだ。父親は植木のハナミズキを大量に買い付けて。これで大儲けすることにすると嬉しげに話した。たぶんもう。父親は70歳になっていただろう。大型の4トン車を中古で買って。植木屋を本気で始めた。でも儲かることはなく。やはり米麦の収入が植木屋に回って。なんとか生活していた。父親は孫が出来るのがそれはそれは楽しみにしていた。だから余計に働いた。お金にならないのに働いて子どもにお金をなるの生き甲斐だった。父親は悔やんでいた!!弟の嫁さんが出産時に死ぬとは思ってなかった。だから埼玉県の病院に行った帰りに。「S子を高崎市の佐藤病院に連れてくれば良かった!!」と繰り返し話した。またAは相手の両親にもガッカリした。娘が妊娠中で不安ならば。なんとかしてやれば良いのに。相手の両親は市役所に行っていた。だからS子ひとりで悩んでいたのだろう!弟も妊娠とは何か知らなかった。弟の嫁さんが死んだ!!嫁さんの実の父親は。「 S子!!夕飯だよ!と声をかけていた。」娘はまだ生きがあったから。ちょっとだけ口を開けた。父親はベットの打ち伏して泣いていた。それは酷い光景だった。弟は周りに人がいるの構わずに大声で泣いていた。まだS子は30歳あまり。S子の同級生が話していた。「これからやっと幸せになるところだったのに!」S子の母親は気丈だった。それでも。涙をいっぱい溜めていた。出来れば子どもと一緒に公園まで行けたら良かったのに!と話した。それからは。その家はまるで死んだ家のようになっていたらしい。父親は哀しさのあまり昼間から酒ばかり飲んで数年後に死んだ!だから二人が死んだことになる。